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刀剣について:其の19(延寿国村)

2019年04月19日

おはようございます! 
 
金曜日雑学担当、顧問の坂入です。 
 
 
<TZC109>刀剣について:其の19 
 
 
(18) 肥後の国:延寿国村(菊池千本槍) 
 
 
 肥後の国(熊本)の菊池郷で栄えた刀工集団「延寿一門」を創始 
 
したのは「延寿国村」です。 
 
 
 大和の国の尻懸派(しっかけは)の「大和弘村」の子として生まれ 
 
元の名を「延寿太郎」と言いました。 
 
 来一門の祖である「来国行」の娘婿に迎えられて「国村」と改名し 
 
ました。 
 
 
 作刀に「来国村」と刻まれた刀剣が遺っています。国村は、父「弘 
 
村」と共に肥後に招聘されたのは、この地の豪族「菊池一族」の要請 
 
からでした。 
 
 勤王の家としての菊池一族は、京に上る機会が多く、山城の国で 
 
「来一門」との交流が有り、山城伝の作刀技術を肥後に根付かせる 
 
目的で招聘したのが「弘村・国村」の親子でした。 
 
 
 古延寿、中延寿と呼ばれる正応年間(1288~1293年)から延文 
 
年間(1356~1361年)・貞治年間(1362~1368年)の延寿一門 
 
は、「来国俊と国光」の作風を踏襲し、国俊は、国行の門人で、国光は 
 
その息子でした。 
 
 
 延寿一門を興した「国村」は、来親子の技術を承継する刀工だとも 
 
言われています。 
 
 
 時代が下がり、応永年間(1394~1428年)から天文年間(1532 
 
~1555年)に至った延寿一門は、末延寿と呼ばれています。 
 
 
 この末延寿が創出したのが、長柄武器の中でも画期的な「菊池槍」でした。 
 
 朝廷に逆らって鎌倉を占拠した足利尊氏を討伐する勅令を奉じた「新 
 
田義貞」に従って、肥後守護職として出陣した菊池一族の当主「武重」 
 
の作戦の端緒となって「菊池槍」が出来ました。 
 
「武重」は、箱根山で「尊氏」の軍勢と激突した自軍に、千振りの短刀を 
 
用意させて、竹竿の先に装着させました。千人の兵に持たせた先端に 
 
短刀を付けた長い竹竿で尊氏軍を打ち破ったのです。 
 
 
 建武2年の足利勢と新田勢が戦った「竹之下の戦」での出来事でした。 
 
 
最終的には、新田勢の敗北に終わりましたが、この菊地軍の戦い方が 
 
高く評価され、肥後に戻った菊地武重は、延寿一門に「短刀姿で茎の長い 
 
槍穂」を作らせました。 
 
 
 これが「菊池槍」の発祥で、刀身は一尺(30㎝)、前時代の「矛(ほこ)」 
 
とも「薙刀(なぎなた)」とも異なる新兵器「槍(やり)」の出現でした。 
 
 後に「菊池槍(きくちやり)」と称されました。 
 
 
 評価:菊池槍⇒1200万円~ 
 
                31.4.19  坂入 拝 
 
来週は、南国薩摩の国の「波平一門」の話です・・・。 

みつかる