おはようございます!
金曜日雑学担当、顧問の坂入です。
<TZC109>刀剣について:其の19
(18) 肥後の国:延寿国村(菊池千本槍)
肥後の国(熊本)の菊池郷で栄えた刀工集団「延寿一門」を創始
したのは「延寿国村」です。
大和の国の尻懸派(しっかけは)の「大和弘村」の子として生まれ
元の名を「延寿太郎」と言いました。
来一門の祖である「来国行」の娘婿に迎えられて「国村」と改名し
ました。
作刀に「来国村」と刻まれた刀剣が遺っています。国村は、父「弘
村」と共に肥後に招聘されたのは、この地の豪族「菊池一族」
からでした。
勤王の家としての菊池一族は、京に上る機会が多く、山城の国で
「来一門」との交流が有り、山城伝の作刀技術を肥後に根付かせる
目的で招聘したのが「弘村・国村」の親子でした。
古延寿、中延寿と呼ばれる正応年間(1288~1293年)
年間(1356~1361年)・貞治年間(1362~
は、「来国俊と国光」の作風を踏襲し、国俊は、国行の門人で、
その息子でした。
延寿一門を興した「国村」は、来親子の技術を承継する刀工だとも
言われています。
時代が下がり、応永年間(1394~1428年)から天文年間(
~1555年)に至った延寿一門は、末延寿と呼ばれています。
この末延寿が創出したのが、長柄武器の中でも画期的な「菊池槍」
朝廷に逆らって鎌倉を占拠した足利尊氏を討伐する勅令を奉じた「
田義貞」に従って、肥後守護職として出陣した菊池一族の当主「
の作戦の端緒となって「菊池槍」が出来ました。
「武重」は、箱根山で「尊氏」の軍勢と激突した自軍に、
用意させて、竹竿の先に装着させました。
短刀を付けた長い竹竿で尊氏軍を打ち破ったのです。
建武2年の足利勢と新田勢が戦った「竹之下の戦」
最終的には、新田勢の敗北に終わりましたが、
高く評価され、肥後に戻った菊地武重は、延寿一門に「
槍穂」を作らせました。
これが「菊池槍」の発祥で、刀身は一尺(30㎝)、前時代の「
とも「薙刀(なぎなた)」とも異なる新兵器「槍(やり)」
後に「菊池槍(きくちやり)」と称されました。
評価:菊池槍⇒1200万円~
31.4.19 坂入 拝
来週は、南国薩摩の国の「波平一門」の話です・・・。