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刀剣について:其の15(郷義弘)

2019年03月22日

おはようございます! 
 
金曜日雑学:週末のリラックス担当、顧問の坂入です。 
 
 
先週で、個人所得税の確定申告期限が終了しました。 
 
個人消費税の期限は4月1日迄ですが、所得税と消費税を 
 
一括に申告済みの方が大部分でしょう・・・。 
 
 
花見の予定の連絡が舞い込み始めました。 
 
王子の「飛鳥山」、上野の「上野公園」、浅草の「隅田公園」 
 
向島の「隅田公園」、等々が下町の花見ポイントでしょう。 
 
 
当方事務所の近隣と言えば、皇居周辺の「九段下からぐる 
 
っと千鳥ヶ淵」までが花見ポイントですが、此処の欠点は、 
 
蓆を敷いて座り込めないことでしょう。」 
 
花見の話はここまでにして、本来の「刀」へ・・・。 
 
 
TZC<105>刀剣について:其の15 
 
 
(14) 越中の国:郷義弘(正宗十哲の一人) 
 
 
鎌倉時代末期の元応年間(1319~1321年)の越中の国(富山)の 
 
刀工です。松倉郷右衛門という名前で、刀工としての名乗りが、当初は 
 
「義広」、一度は「善広」に改めて、最終的には「義弘」となっています。 
 
 
正宗十哲の一人に選ばれています。作風は正宗が完成させた相州伝 
 
を継承し、日本三名工とも呼ばれるに至りました。 
 
 
徳川幕府の刀剣極所を司っていた鑑定の大家である「本阿弥家」が、 
 
享保4年に編纂した「享保名物牒」では、八代将軍「吉宗」の要請で本阿 
 
弥家は、14振りの郷義弘の刀剣を「名物」として挙げています。是だけの 
 
数が挙げられたのは、郷義弘だけでした。 
 
 
一般的には「郷と化け物(幽霊)は見たことがない」とも言われ、作刀の 
 
現存が少ないことを意味しています。本人の打った刀剣が少なければ、 
 
当然に希少価値が高まり、偽物が多く作られたことが推測されます。 
 
享保の名物も14振り全てが本物だったとは言い切れないとの評価も残り 
 
ます。 
 
 
郷義弘の短刀には銘を切らなかったことも、偽作が出回り易く、金象嵌 
 
で「江」と記された刀が数多く遺されていますが、これも茎に銘が切られて 
 
いない無名だそうです。 
 
師匠の正宗共々銘を切らなかったことから、江戸時代に入ってから大量に 
 
偽作が出回ったのだとも言われ、無名ならば本物かどうかの真贋の判断が 
 
出来ないという状況からの結果だったのでしょう。 
 
 
同時期に、「郷(越中)則重」が存在しました。こちらも「正宗十哲」の一人 
 
に数えられています。「郷義弘」に比べて「則重」は、福井の藤島神社所蔵の 
 
刀剣や愛媛の大山祇神社の薙刀などが現存しています。 
 
 
*「天下の三名工」とは 
 
信長を継承して天下統一を成し遂げた秀吉は、稀代の愛刀家でもありました。 
 
天下人として君臨した桃山時代、秀吉は、「天下三名工」と称して下記の三人の 
 
刀工を選びました。 
 
1.五郎入道正宗(相模の国:正応~嘉暦年間) 
2.郷義弘(越中の国:元応年間) 
3.藤四郎吉光(山城の国:正元年間) 
 
評価⇒1800万円~ 
 
今週は、ここまでです。来週は「備前長船」を・・・。 
 
31.3.22 坂入 拝 

みつかる