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刀剣について其の13(藤源次助真)

2019年03月08日

おはようございます! 
 
金曜日、雑学担当、顧問の坂入です。 
 
 
個人所得税・消費税の確定申告でいずれの税理士事務所も、 
 
てんてこ舞い状態でしょう。 
 
      ・・・当坂入事務所は、余裕のヨッチャンです!!! 
 
週末ぐらいは「税金」の事を一瞬でも忘れて、脳内をリフレッシュ 
 
する意味でも、この「雑学」メルマガをお薦めします。 
 
さて、今週もチャンバラ小説からの雑学で、「刀」の話しの続きです。 
 
・・・・⇒「刀の話」は今年一杯位続きそうです。お付き合いください! 
 
 
TZC<103>:刀剣について:其の13 
 
 
(12)相模の国:藤源次助真(日光助真) 
 
 
 藤源次助真は、正元年間(1259~1260年)の、備前の国(岡山県) 
 
の福岡一文字派の刀工です。鎌倉北条執権に招聘されて相模の国に 
 
移住し、鎌倉鍛冶の基礎を固めた名匠の一人とされています。 
 
 
 前述のように、備前三郎「国宗」、左近「国綱」等と相前後して相模の 
 
国へ移住し、後に伝わる「相州伝」の技術を完成させました。「国宗の 
 
備前伝」と「国綱の山城伝」に加えて、一文字派の華やかな作風を伝え 
 
て「鎌倉一文字派」を興しました。 
 
 
 この時期の代表的な作刀が、後の「徳川家康」の愛刀「日光助真」です。 
 
家康が東照神君として奉られている日光東照宮に、第一の御神体として 
 
安置されているこの「日光助真」の刀身は、二尺三寸九分、丁子の花が 
 
咲き乱れる様子に似ていることから「丁子刃」と呼ばれています。 
 
 
 福岡一文字派の華麗な刃紋が特徴的で、加えて、武用刀としての豪壮 
 
な雰囲気も持ち合わせ、晩年まで武芸の鍛錬を欠かさなかった「家康」が 
 
佩刀としたことは納得のいく刀剣でしょう。 
 
 
 秀吉が所蔵し、秀吉没後は加藤清正から家康に献上された経緯から 
 
元来の華美な拵えから、黒漆打刀拵えという実用的な外装に家康が拵え 
 
直させたのだと伝わります。つまり、所蔵するだけならば拵えに拘らずに 
 
華麗な拵えを保存し、刀身は「白鞘」で十分のはずです。 
 
 家康は、あくまでも「日常の武用刀」として身近に携行する意思から、 
 
より実用性の高い「黒漆塗りの刀装」に拵え直させたのだと言われてい 
 
ます。 
 
 評価⇒日光助真:1500万円~ 
 
 
余談ですが、愛読する佐伯泰英氏の著作「交代寄合伊那衆異聞」の 
 
主役である「座光寺藤之助爲清」が長崎から清国、ベトナム、タイ、 
 
マレーシア、シンガポールなど東シナ海を中心にして「サムライトウノ 
 
スケ」として「藤源氏助真:二尺六寸五分」を腰に、活躍させています。 
 
                      31.3.8  坂入 拝 
 
*来週は、相模の国:五郎入道正宗です。 
 

みつかる