おはようございます!
金曜日雑学担当、顧問の坂入です。
TZC<102>:刀剣について其の12
(11)相模の国:左近国綱(鬼丸国綱)
鎌倉鍛冶の歴史は、備前の国「藤源次助真」、同じく「
と山城の国「左近国綱」
したことから始まったと伝わります。
相模の国鎌倉に在地したそれまでの鎌倉の刀工達は、備前伝と山城
伝の技術を携えて移住してきた三刀工に刺激を受けて、
盛んになったとも言われています。
鎌倉に山城伝の作刀技術を持ち込んだ「左近国綱」は、元久年間
(1204~1206年)の刀工で、粟田口一門の「国家」
れました。北条五代執権「時頼」に見込まれて鎌倉に定住し、
を鍛えました。
特に有名なのが「鬼丸国綱」の一振りです。
られ、
源氏を根絶やしして幕府の実権を握った初代執権「北条時政」は、
夜な枕もとを徘徊する小鬼に悩まされ、病床につきました。
「国綱」に打たせた太刀の化身と称する老爺が現れて、
錆びて鞘から抜け出せないと「時政」に訴えました。「時政」は、
刀の手入れを行わせて、
すると、
とし、この小鬼が、悪夢を見せていたのだと伝えました。
刀身は二尺六寸、反りが3.7㎝と深く、
の剛刀です。幕府滅亡後は、「新田義貞」に伝わり、「義貞」
斬りの伝説を持つ秘蔵の「鬼丸」
「国綱」の後継者は鎌倉生まれの実子「新藤五国光」です。
(1293~1299年)の刀工で、名物「会津新藤五」
の山城伝を遵守した作風の短刀を数多く鍛えました。
又、「国光」は、刀身の裏に「素剣」「護摩箸」「梵字」
を得意としたことでも有名です。
評価⇒鬼丸国綱:1800万円~
来週は「藤源次助真」(日光助真)を予定しています。
31.3.1 坂入 拝