おはようございます!
週末!金曜日雑学担当、顧問の坂入です。
平成31年も明けたと思ったら、もう「2月」です!
あと3ケ月で、新たな年号となります・・・。
新年号が、どの様なものになるのか興味津々です。
さて、本来の話に戻します。
刀剣について:其の8
(6)筑後の国:三池光世(大典太光世)
承保年間(1074~1077年)の筑後の国(福岡県)の刀工
「三池光世」は、久能山東照宮の神宝とされた「徳川家康の遺
愛刀」である「大典太光世」の作刀鍛冶です。
この銘刀は、足利将軍家から豊臣秀吉、徳川家康を経由して
加賀百万石の前田家へと伝わり、前田家の重宝として代々前田
家の当主が秘蔵しました。この「大典太光世」の一振りは、平安
時代に打たれた「太刀」でした。
細身の太刀を理想とされた平安時代に「外見は重厚で、刀身は
二尺二寸強と短く、幅広で、切っ先は猪首と呼ばれるガッシリとし
た造り込みで、当時としては異風の外見と評された、独特の太刀
でした。
切れ味に関しては、江戸時代中期の山田朝右衛門吉陸の試し
斬りで「三つ胴」で「二つを断ち切り、
と伝わっています。
武骨な外見でしたが、重ね(刀身の厚み)は薄く、切れ味を追及し
た武用刀として凄絶な威力を秘めた「大典太光世」は、
宝剣」としての霊験が高いことでも有名で、
加賀前田家三代領主の「前田利常」が重病にかかった愛娘の平癒を
祈願して、二代将軍「秀忠」から、この「大典太光世」
愛娘の病が治癒し、このような事が前田家で二度続き、ついには三
度目に、「秀忠」から譲り受けたことで、
わります。
国宝指定の際の呼称は「大典太」ですが、前田家では「大伝太」と
呼称されていました。一般的には、前田家の通称「大伝太」
合もあるようです。
評価:大典太光世⇒1500万円~
余談:日本刀には「国宝指定」のものと「重要文化財指定」
有ります。
「国宝指定」・・・下記の22振りです
名称 刃長 作刀時期 主な所有者
1.七支刀 74.8㎝ 古墳時代 百済王:倭王
2.七星剣 62.4㎝ 飛鳥時代 聖徳太子
3.大包平 89.2㎝ 平安後期 池田光政:源頼光
4.童子切安綱 80.0㎝ 平安後期 足利将軍家:秀吉:家康
5.三日月宗近 80.0㎝ 平安後期 徳川秀忠
6.大典太光世 65.1㎝ 平安後期 足利尊氏:秀吉:前田家
7.日光一文字 67.8㎝ 鎌倉時代 北条早雲:黒田家
8.則宗 78.5㎝ 鎌倉初期 徳川綱吉
9.狐ヶ崎 78.8㎝ 鎌倉初期 吉川友兼
10 山鳥一文字 80.9㎝ 鎌倉中期 上杉謙信:上杉景勝
11 明石国行 76.5㎝ 鎌倉中期 播磨明石松平家
12 国宗 81.4㎝ 鎌倉中期 島津忠重:足利将軍家
13 厚藤四郎 21.8㎝ 鎌倉中期 足利将軍家:黒田如水
秀吉:徳川家綱
14 後藤藤四郎 27.6㎝ 鎌倉中期 後藤庄三郎:尾張徳川家
15 来国光 80.7㎝ 鎌倉後期 松平忠明
16 景光・景政 82.6㎝ 鎌倉後期 大河原時基
17 江雪左文字 78.2㎝ 鎌倉末期 板部岡江雪斎:家康
18 亀甲貞宗 70.9㎝ 南北朝時代 尾張徳川家:徳川綱吉
19 伏見貞宗 30.2㎝ ; 江州水口加藤家
20 圧切長谷部 64.8㎝ ; 織田信長:黒田長政
21 備州長船倫光 126 ㎝ ; 伝来由緒不明
22 稲葉郷(郷義弘)70.9㎝ ; 稲葉重道:家康:松平家
31.2.1 坂入 拝
来週は、粟田口一門:藤四郎吉光の一期一振の話しと御番鍛冶を・