MENU

メールマガジン

刀剣について:其の29

2019年07月05日

おはようございます! 
 
金曜日、週末のリラックス担当、顧問の坂入です。 
 
 
<TZC119>刀剣について:其の29 
 
 
(29)山城の国:三品一門 
 
 
 関兼道が京洛の地に創始した「三品一門」の刀工集団は、幕末まで 
 
隆盛を見ることになります。美濃の国(岐阜)の名匠「志津三郎兼氏」の 
 
九世の孫とされ、寛永年間(1624~1644年)の刀工で、四人の息子 
 
達は揃って刀工となりました。 
 
 
  嫡男⇒伊賀守金道(初代金道) 
 
  次男⇒和泉守来金道(二代金道) 
 
  三男⇒丹波守吉道 
 
  四男⇒越中守正俊 
 
 
 永禄年間(1558~1570年)に、美濃から京に上り、西洞院夷川(にし 
 
のとういんえびすがわ)に定住した関兼道と嫡男の金道は、三品一門の 
 
基礎を築き、弟達にその技術を伝えました。 
 
 
 四人の息子たちに、門下の刀工「近江守久道」を加えた五人の刀工を 
 
「京都五鍛冶」と寛文年間(1661~1673年)に称されました。 
 
 
 次男の「二代金道」は、「大法師法橋栄泉」とも称し、三男の「吉道」は、 
 
京丹波と大阪丹波の二派をなして「丹波一門」の祖となりました。 
 
 
 また、四男の「正俊」は、古刀期の五家伝を器用に使い分けて数多く 
 
の逸品を打ち出しています。 
 
 
 京洛で名声を得た「三品一門」は、本格的に台頭したのは、「関兼道」 
 
「伊賀守金道」に続いて三代当主となった「二代伊賀守金道」の時代を 
 
迎えたころからだと伝わります。 
 
 
「二代金道」の作刀の茎には、「初代金道」が晩年に賜った「菊紋」、そし 
 
て「伊賀守藤原金道」の刀工銘と、「日本鍛冶惣匠:にほんかじそうじょう」 
 
という「銘」が切られています。 
 
 
「日本鍛冶惣匠」とは、全国の刀工の惣領:統領と言う意味で、禁裏に 
 
刀御用として仕えるという事に加えて、名誉職としての官位、つまり、受 
 
領名を仲介する特権職でもありました。 
 
 
 刀工が受領名を得るためには、日本鍛冶惣匠に相応の礼金を納めて 
 
朝廷への仲介の労を取ってもらう手続きが必要であったため、自ずと、 
 
此処には巨万の富をもたらす特権職となったようです。 
 
 
 二代金道が此の特権を得たのは、関ケ原の戦いで、合戦用に千振りの 
 
刀を注文した徳川家康の依頼に応じたことが要因となり、家康の取次で 
 
日本鍛冶惣匠の勅許を受け、幕末まで栄えました。 
 
 
 五代と六代の金道は、「雷除け」と称する安価な短刀を量産した結果、 
 
多くの物が現存し、現在でも1振り30~40万円の評価で出回っているよ 
 
うです。 
 
  評価  初代金道 ⇒900万円~ 
       二代金道 ⇒500万円~ 
 
今週はここまでです。 
 
来週は、新刀期の「大阪鍛冶」の祖、摂津の国の「河内守国助」です。 
 
                 元、 7、 5    坂入 拝 

みつかる