おはようございます!
金曜日、週末のリラックス担当、顧問の坂入です。
<TZC119>刀剣について:其の29
(29)山城の国:三品一門
関兼道が京洛の地に創始した「三品一門」の刀工集団は、幕末まで
隆盛を見ることになります。美濃の国(岐阜)の名匠「
九世の孫とされ、寛永年間(1624~1644年)の刀工で、
達は揃って刀工となりました。
嫡男⇒伊賀守金道(初代金道)
次男⇒和泉守来金道(二代金道)
三男⇒丹波守吉道
四男⇒越中守正俊
永禄年間(1558~1570年)に、美濃から京に上り、
のとういんえびすがわ)に定住した関兼道と嫡男の金道は、
基礎を築き、弟達にその技術を伝えました。
四人の息子たちに、門下の刀工「近江守久道」
「京都五鍛冶」と寛文年間(1661~1673年)
次男の「二代金道」は、「大法師法橋栄泉」とも称し、三男の「
京丹波と大阪丹波の二派をなして「丹波一門」の祖となりました。
また、四男の「正俊」は、
の逸品を打ち出しています。
京洛で名声を得た「三品一門」は、本格的に台頭したのは、「
「伊賀守金道」に続いて三代当主となった「二代伊賀守金道」
迎えたころからだと伝わります。
「二代金道」の作刀の茎には、「初代金道」が晩年に賜った「
て「伊賀守藤原金道」の刀工銘と、「日本鍛冶惣匠:
という「銘」が切られています。
「日本鍛冶惣匠」とは、全国の刀工の惣領:統領と言う意味で、
刀御用として仕えるという事に加えて、名誉職としての官位、
領名を仲介する特権職でもありました。
刀工が受領名を得るためには、日本鍛冶惣匠に相応の礼金を納めて
朝廷への仲介の労を取ってもらう手続きが必要であったため、
此処には巨万の富をもたらす特権職となったようです。
二代金道が此の特権を得たのは、関ケ原の戦いで、
刀を注文した徳川家康の依頼に応じたことが要因となり、
日本鍛冶惣匠の勅許を受け、幕末まで栄えました。
五代と六代の金道は、「雷除け」
多くの物が現存し、現在でも1振り30~
うです。
評価 初代金道 ⇒900万円~
二代金道 ⇒500万円~
今週はここまでです。
来週は、新刀期の「大阪鍛冶」の祖、摂津の国の「河内守国助」
元、 7、 5 坂入 拝