おはようございます!
金曜日週末のリラックス担当、顧問の坂入です。
<TZC118>刀剣について:其の28
(28)山城の国:堀川国広
堀川信濃守国広は、慶長年間(1569~1615年)
です。後述します「長曾根虎徹:ながそねこてつ」と並び、
双璧的名工です。
日向の国(宮崎)の刀工「国昌」の子に生まれ武士となりますが、
主家の再興を志しながら諸国を流浪し、
作刀の技術と刀身彫刻の両方の名人の域に達したと伝わります。
山城の国(京都)の京:堀川に定住したのは慶長4年(
既に70歳を超えていたとも言われています。この地に「
鎌倉期から南北朝の「古刀」を理想としながら、
の需要であった二尺二寸前後の作刀だったとも伝わります。
その持ち味は、豪壮な太刀姿に仕上げて、
古刀の太刀をそのまま短くしたような作風が特徴となっています。
*「摺り上げ」とは、古刀の太刀を、打ち刀の長さ(
に短くすることを言います。茎(なかご)に刻まれた「銘」(
工名などを刻印)が判別不能な程度に、茎の末端部分を切断して、
刀身部分を短くすることを「摺り上げる」と言いました。
銘の部分を残せない場合は、裏側に銘が残るように折り返す方法も
有り、「折り返し」と言いました。長さによっては銘どころか、
体を切断して、刀身の鍔元に近い部分を加工して新たに茎を創出す
る「大摺り上げ」と言う方法も有りました。
標準が二尺二寸から三寸と定められた新刀に対して、
された多くの古刀は、
のが標準的であったことから、そのまま「佩刀」ではなく「
するには不都合となったことから、先祖伝来の名刀も「
「差し料」(帯の間に刃を上にして差す打ち刀をこう呼びました)
得ませんでした。
「国広」が好んで作刀した「大磨上姿」と称される刀は、
の要望を適切に見抜いて、
(古刀)
価されています。
評価:「国広」⇒1800万円~
今週はここまでです。来週は、同じ山城の国の「三品一門」です。
元、 6、 28 坂入 拝