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刀剣について:其の28(堀川国広)

2019年06月28日

おはようございます! 
 
金曜日週末のリラックス担当、顧問の坂入です。 
 
 
<TZC118>刀剣について:其の28 
 
 
(28)山城の国:堀川国広 
 
 
 堀川信濃守国広は、慶長年間(1569~1615年)の新刀期初期の刀工 
 
です。後述します「長曾根虎徹:ながそねこてつ」と並び、新刀期の東西の 
 
双璧的名工です。 
 
 
 日向の国(宮崎)の刀工「国昌」の子に生まれ武士となりますが、没落した 
 
主家の再興を志しながら諸国を流浪し、各地の刀工の下で修業した結果、 
 
作刀の技術と刀身彫刻の両方の名人の域に達したと伝わります。 
 
 
 山城の国(京都)の京:堀川に定住したのは慶長4年(1599年)の頃で 
 
既に70歳を超えていたとも言われています。この地に「堀川一門」を構え 
 
鎌倉期から南北朝の「古刀」を理想としながら、その刀身の長さを新刀期 
 
の需要であった二尺二寸前後の作刀だったとも伝わります。 
 
 
 その持ち味は、豪壮な太刀姿に仕上げて、大太刀を摺り上げたような 
 
古刀の太刀をそのまま短くしたような作風が特徴となっています。 
 
 
  *「摺り上げ」とは、古刀の太刀を、打ち刀の長さ(二尺二寸から三寸) 
 
   に短くすることを言います。茎(なかご)に刻まれた「銘」(作刀した刀 
 
   工名などを刻印)が判別不能な程度に、茎の末端部分を切断して、 
 
   刀身部分を短くすることを「摺り上げる」と言いました。長さの都合で 
 
   銘の部分を残せない場合は、裏側に銘が残るように折り返す方法も 
 
   有り、「折り返し」と言いました。長さによっては銘どころか、茎部分全 
 
   体を切断して、刀身の鍔元に近い部分を加工して新たに茎を創出す 
 
   る「大摺り上げ」と言う方法も有りました。 
 
 
 標準が二尺二寸から三寸と定められた新刀に対して、名刀として伝承 
 
された多くの古刀は、それも南北朝以前の作刀は長大な三尺を超えるも 
 
のが標準的であったことから、そのまま「佩刀」ではなく「帯に差して」携行 
 
するには不都合となったことから、先祖伝来の名刀も「大摺り上げ」をして 
 
「差し料」(帯の間に刃を上にして差す打ち刀をこう呼びました)とせざるを 
 
得ませんでした。 
 
 
 「国広」が好んで作刀した「大磨上姿」と称される刀は、慶長年間の武士 
 
の要望を適切に見抜いて、その需要に応じたものだったのでしょう。太刀 
 
(古刀)の豪壮な姿と差し料としての長さをマッチングさせた独自の物と評 
 
価されています。 
 
 評価:「国広」⇒1800万円~ 
 
 
    今週はここまでです。来週は、同じ山城の国の「三品一門」です。 
 
             元、 6、 28   坂入 拝 

みつかる