MENU

メールマガジン

刀剣について:其の26胴田貫正国

2019年06月14日

おはようございます! 
 
週末金曜日のリラックス担当、顧問の坂入です。 
 
 
<TZC116>刀剣について:其の26 
 

 
(26)肥後の国:胴田貫正国(同田貫):実用刀の最終形 
 

 
 先述の「五ケ傳」の影響を受けずに独自の作風を遂げた、刀剣用語で 
 
言えば、「脇物」或いは「交わり物」と呼ばれる刀工の代表が此の「胴田貫」 
 
です。 

 
 
 延祷一門の末裔とも伝わる「胴田貫一門」の刀剣は、重ねの厚い剛刀で、 
 
切れ味には定評がありました。合戦場での片手打ちに適した刀身が主流で、 
 
江戸時代の正保2年(1645年)に徳川幕府が刀の刃長を二尺二寸~三寸 
 
を定寸とする定めを出すまでは、実戦用の片手打ち用として二尺二寸が標 
 
準となっていました。 
 

 
 天正年間(1573~1592年)の「正国」は戦国時代後期に台頭した

胴田貫一門を代表する刀工です。片手打ちに適した実践志向の剛刀を始め、

大身槍薙刀といった合戦武具を手掛けた「正国」とその一門の後ろ盾と

なったのが、秀吉配下の「加藤清正」でした。 

 
「清正」は、秀吉の九州征伐に同行し、天正15年(1587年)

肥後の国の25万石を与えられて、翌年から熊本城に居を定めました。 
 
この時、御用鍛冶として「胴田貫一門」の「正国」と「清国」が仕えました。 
 

 
 それまでは、初銘を「信賀」、続いて「国勝」と称していた「正国」は、

「清正」から「正」の字を授けられて「正国」と改名したと伝わります。 
 

 
 文禄9年に始まった朝鮮出兵用に千振りの刀を鍛えて、更には、現地に従軍し 
 
て最前線の将兵に、その場で刀剣の修理などを行ったとも伝わります。 

 
 
 *参考:テレビドラマで評判を得た「子連れ狼」の主役「拝一刀」が、この 
 
     胴田貫を腰にして、幕府の裏に暗躍する刺客集団を相手に活躍して 
 
     いたことを、チャンバラファンなら記憶にあることでしょう。 
 
 
     又、明治維新後の、明治20年の天覧兜割の試技で、直心陰流を伝承 
 
     する「榊原健吉」が、見事に兜割に成功した際に使用したのが、この

    「胴田貫」の一振りだったことは有名な話です。 
 

 
 評価:胴田貫「正国」 ⇒400万円~・・・美術品的価値は低いようです? 
 
  今週は、ここまでです。来週は、山城の国の埋忠明壽:刀身彫刻の美を・・・。 

 
                   元、 6、 14   坂入 拝 
 
 
 

みつかる