おはようございます!
金曜日雑学:リラックス担当、顧問の坂入です。
TZC<113>刀剣について:其の23
(22)伊勢の国:千五村正(徳川に祟る妖刀)
今週は、徳川家に祟る「妖刀:村正」伝説で有名な「千五村正」
「村正」は、応永年間(1394~1428年)
伊勢の国(三重)で三代に亘って栄えた村正一門は、伊勢国司の「
畠家」を始めとする土地の郷士・
父は、美濃の国の「関鍛冶」の一人で、名は「兼村」、
城長吉」で、応永年間に活躍した山城の国の名工でした。
「村正」の作風は、師「長吉」と酷似していたとも伝わります。
「村正」が妖刀と言われるには、
初めは、家康の祖父「松平清康」でした。家康が生まれる以前、
(1535年)25歳で死亡した「清康」の死因は、
「安倍弥七郎」から受けた刀傷が元でした。
のが「村正」だったと伝わります。
二度目は、天文18年(1549年)、家康の嫡男「信康」が、
が疑われて、同盟先であった「織田信長」から切腹の命が出され、
から家康は拒否できず、受け入れ、切腹を断行させました。
に使われたのが「村正」でした。
三度目は、関ケ原の戦いで、配下に属していた「織田信長」の甥「
孝」が、敵将を槍で仕留めたことを賞して、
家康が槍の鞘を払う際に指を傷つけてしまいました。この槍が「
槍穂だと知った家康は、
以来、「村正」の作刀類は、徳川家に祟るものとして、一族・
禁じる命を発したと伝わります。
いかし、逆に、豊臣恩顧の外様の諸大名は、秘かに「村正」
とも伝わります。
評価:千五村正 ⇒1300万円~
次週は、駿河の国の「島田義助」
元、5.24 坂入 拝