おはようございます!
金曜日リラックス担当、顧問の坂入です。
<TZC108>刀剣について:其の18
(17)筑前の国:左(さ:左文字:正宗十哲の一人)
茎(なかご)の銘に「左」の一文字が刻まれたことから「左文字」
の通称が付きました。
元応年間(1319~1321年)の刀工の一門で、
筑前の国(福岡)の博多で繁栄した「左」の一門は、正宗十哲の
最上位だと評されました。
正宗の相州伝を学んだ「左一門」は九州有数の刀工集団でした。
最も有名な太刀として、戦国大名の今川義元愛用の「宗三左文字」
の太刀です。左文字一門は短刀に多くの名物を遺しました。刀身の
寸法が短めで身幅の狭い、僅かに反った「左文字姿」という形を確
立させています。
南北朝時代に入ると、左一門は分派します。足利尊氏が朝廷に反
旗を翻して九州に侵攻しますが、後醍醐天皇を奉じた「北畠一族」
敗れた足利尊氏は、九州に逃れて自軍の再編成を目論見、これに
抵抗した肥後の国(熊本)の菊池武敏は、肥後勤王軍を組織して、
左」一門は、この勤王軍に従いました。
刀工として武器調達を行うのではなく、兵としての従軍でした。
しかし、勤王軍は建武三年(1336年)尊氏軍に敗れ、「
敗走して博多を脱出し、脱出先で刀工として再起を図りました。
落ち延びた先は、肥前の国(佐賀)の大石、長門の国(山口)の二
か所でした。「平戸左」「大石左」「長州左」
この時、筑前に隠れ残った集団を「筑前左」と呼びました。
筑前左と平戸左は、建武年間(1334~1336年)、
(1429~1441年)、長州左は建武年間から貞治年間(
年)の刀工集団だとされています。
評価 ⇒左文字 1500万円~
今週はここまでです。来週は、肥後の国の延寿国村(菊地千本槍)
31.4.12 坂入 拝