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刀剣について:其の17

2019年04月05日

おはようございます! 
 
金曜日雑学担当、顧問の坂入です。 
 
4月1日エイプリルフールですが? 
        ・・・冗談抜きで、新元号の発表が有りました! 
 
   「令和」=「れいわ」 
 
10連休中に「平成」から「令和」に切り換わります。 
 
 
私からの「平成のメルマガ」も、今週を含めて4回です。 
 
 
 
 
<TZC107>刀剣について:其の17 
 
 
(16)美濃の国:志津兼氏(正宗十哲の一人) 
 
 
 「志津兼氏:しずかねうじ」」別名「包氏」とも呼ばれました。 
 
 
応長年間(1311~1312年)の刀工で、大和の国の刀工集団 
 
「手掻一門(てがい)」に、「大和伝」の作刀技術を学び、美濃の 
 
国(岐阜)の志津山に居を移して、元応年間(1319~1321年) 
 
に新たに「志津一門」を構えています。 
 
 
大和での作刀を「大和志津」、美濃に移ってからは「志津三郎兼 
 
氏」と呼ばれています。 
 
 
「包氏」改め「兼氏」は、大和伝と併せて「相州伝」の技術を究め 
 
た名工とされ、「正宗十哲」でも屈指の刀工として位置付けられ 
 
ています。 
 
 
太刀は、徳川家康の「分部の太刀」、短刀では「稲葉志津」など 
 
数多くの名物を遺しています。 
 
 
*「五カ伝」の内、平安後期の保元年間(1156~1159年)に 
 
 多くの刀工が存在した美濃の国でしたが、この「美濃伝」が最 
 
 も遅く技術が確立されたと伝わります。 
 
 
 前述の「兼氏」は、大和伝に相州伝を加味した作風で、美濃の 
 
 国に移住して、美濃の作刀技術の向上に貢献した伝播者だっ 
 
 たとも言われています。 
 
 
 「美濃伝」の特徴となった、「互の目乱れ:ぐのめみだれ」という 
 
 鋭い刃紋が交じるようになった点は、「兼氏」が美濃に移住した 
 
 後に影響を受けたからだとも言われています。 
 
  評価 ⇒兼氏:1800万円~ 
 
  31.4.5  坂入 拝 
 
 ・・・来週は、筑前の国の「左:左文字」を紹介します・・・ 

みつかる