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メールマガジン

刀剣について:その21

2019年05月10日

おはようございます! 
 
金曜日雑学担当、顧問の坂入です。 
 
 
先週(5月3日)は、連休のためお休みでした。 
 
金曜日担当の、新元号でのメルマガ第一号です!!! 
 
 
<TZC111>刀剣について:其の21 
 
 
(20)山城の国:信国 
 
 信国は、建武年間(1334~1336年)から貞治年間(1362~1368年) 
 
の刀工で、「貞宗三哲」に数えられる名工です。 
 
 
 *「貞宗三哲」とは、正宗の養子となって相州伝を継承した「相州貞 
 
   宗」門下の高弟の事を指します。「信国・法城寺国光・元重」の三 
 
   人で、このうち「信国」は、貞宗に学んだ相州伝を忠実に継承しま 
 
   した。相州彫と称される刀身彫刻に顕著に現れ、貞宗に似て非な 
 
   る作風と看破されますが、貞宗の作刀として伝えられる「信国」の 
 
   短刀が数多く存在するとも伝わるくらいです。 
 
 
 信国の精微な刀身彫刻は、二代目信国(左兵衛尉信国)は、貞治年 
 
間、その息子の三代目信国(式部丞信国)は応永年間の刀工で、いず 
 
れも「桶(ひ)」という刀身に掻かれる溝の意匠を得意とし、桶の中に浮 
 
彫を施したり、細い桶をもう一本添えて掻く、添桶(そえひ)と呼ばれる 
 
技法も見受けられます。 
 
 
 南北朝の動乱の中で、山城の国での作刀を行った「信国」ですが、 
 
室町後期の四代目「定光」以降、応仁の乱の影響で、豊前の国(福岡 
 
大分)への移住が進みました。 
 
 
 細川勝元の東軍と山名崇全の西軍との衝突は、京の近辺で安心して 
 
作刀することは困難でした。やむを得ず、応仁年間(1467~1469年) 
 
に豊前の国へ移住しました。「定光」一門は、北九州に山城伝を伝播す 
 
る役割を果たすことになりました。 
 
 
 やむを得ず「都落ち」した、此の一門が活躍するのは、戦国乱世も終 
 
盤に近い、天正十五年(1587年)秀吉軍の軍奉行として九州討伐で武 
 
功を挙げた「黒田如水」が中津川(大分)12万石の大名となったことから 
 
でした。如水に見いだされ黒田家の刀工として召し抱えられた信国一門 
 
は、二代領主の「黒田長政」が関ケ原の戦いで家康の東軍に参陣して 
 
筑前の国(福岡)五十万石で遇され、福岡城に入った際に、この刀工集 
 
団も同行を許され、新刀期において「筑紫信国」として、広く世に知られ 
 
る刀工となりました。 
 
 ・・・幕末の、薩摩の国の「西郷隆盛」が、信国の太刀を軍刀として佩刀 
 
   していたことは有名でした。 
 
  評価⇒「信国」:900万円~ 
 
                      元年 5月 10日     坂入 拝 
 
今週はここまで・・・。来週は「へし切り長谷部」です。 

みつかる