おはようございます!
金曜日雑学担当、顧問の坂入です。
先週(5月3日)は、連休のためお休みでした。
金曜日担当の、新元号でのメルマガ第一号です!!!
<TZC111>刀剣について:其の21
(20)山城の国:信国
信国は、建武年間(1334~1336年)から貞治年間(136
の刀工で、「貞宗三哲」に数えられる名工です。
*「貞宗三哲」とは、正宗の養子となって相州伝を継承した「相州
宗」門下の高弟の事を指します。「信国・法城寺国光・元重」の三
人で、このうち「信国」は、貞宗に学んだ相州伝を忠実に継承しま
した。相州彫と称される刀身彫刻に顕著に現れ、貞宗に似て非な
る作風と看破されますが、貞宗の作刀として伝えられる「信国」の
短刀が数多く存在するとも伝わるくらいです。
信国の精微な刀身彫刻は、二代目信国(左兵衛尉信国)は、貞治年
間、その息子の三代目信国(式部丞信国)は応永年間の刀工で、い
れも「桶(ひ)」という刀身に掻かれる溝の意匠を得意とし、桶の
彫を施したり、細い桶をもう一本添えて掻く、添桶(そえひ)と呼
技法も見受けられます。
南北朝の動乱の中で、山城の国での作刀を行った「信国」ですが、
室町後期の四代目「定光」以降、応仁の乱の影響で、豊前の国(福
大分)への移住が進みました。
細川勝元の東軍と山名崇全の西軍との衝突は、京の近辺で安心して
作刀することは困難でした。やむを得ず、応仁年間(1467~1
に豊前の国へ移住しました。「定光」一門は、北九州に山城伝を伝
る役割を果たすことになりました。
やむを得ず「都落ち」した、此の一門が活躍するのは、戦国乱世も
盤に近い、天正十五年(1587年)秀吉軍の軍奉行として九州討
功を挙げた「黒田如水」が中津川(大分)12万石の大名となった
でした。如水に見いだされ黒田家の刀工として召し抱えられた信国
は、二代領主の「黒田長政」が関ケ原の戦いで家康の東軍に参陣し
筑前の国(福岡)五十万石で遇され、福岡城に入った際に、この刀
団も同行を許され、新刀期において「筑紫信国」として、広く世に
る刀工となりました。
・・・幕末の、薩摩の国の「西郷隆盛」が、信国の太刀を軍刀とし
していたことは有名でした。
評価⇒「信国」:900万円~
元年 5月 10日 坂入 拝
今週はここまで・・・。来週は「へし切り長谷部」です。