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刀剣について:其の32

2019年07月26日
おはようございます! 
 
金曜日リラックス担当、顧問の坂入です。 
 
 
 
<TZC122>刀剣について:其の32 
 
 
 
今週は、摂津の国の刀工2名をお送りします。 
 
 
(32)摂津の国:津田越前守助広 
 
 先週の「そぼろ助広」の養子に迎えられて「二代目助広」を襲名した 
 
「津田越前守助広」は、延宝年間(1673~1681年)の刀工です。 
 

 
 生涯無位無官で過ごした義父の「初代助広」とは異なり、20歳頃の 
 
明暦三年(1657年)に早々と「越前守」を受領していました。 

 
 
 この「二代助広」の名は、「濤乱刃(とうらんば)」の創始者として知ら 
 
れています。「濤乱」とは、波濤、つまり大きな波を意味します。荒々し 
 
い大波を彷彿とさせる刃紋です。 
 

 
 少年時代を過ごしていた摂津の国の「打ち出の浜」の、押しては引く 
 
波の思い出を刃紋として再現したとも言われ、豪壮かつ華麗な「濤乱 
 
刃」の作刀技術と豊かな想像力に驚異を抱くものが有ります。 
 

 
 二代目助広は、「濤乱刃」の評価を得る以前から、山城伝の華麗な 
 
中直刃を得意とし、大阪鍛冶でも名工の一人に数えられていました。 
 
初代の清貧振りとは異なり経済的にも安定したのは、大阪城代の「 
 
青山因幡守」のお抱え鍛冶として仕えたからでした。 
 
 二代目助広の娘婿で天和年間(1681~1684年)の「津田近江守 
 
助直」も正統の「濤乱刃」の後継者としてその技術を継承しました。 
 
助直の没後に「濤乱刃」は一時衰退しますが、江戸後期の寛政年間 
 
に大阪鍛冶の名工「尾崎助隆」によって復活して現在まで継承されて 
 
います。 
 
「二代目助広」を愛刀としたことで有名なのは、桜田門外の変で凶刃に 
 
倒れた幕末の大老「井伊直弼」でした。 

 
 
 評価:津田越前守助広⇒1500万円~ 
 
 
 
 
(33)摂津の国:井上真改 
 
 延宝年間(1673~1681年)の同時期に、津田越前守助広と並んで 
 
大阪鍛冶の双璧と称されたのが「井上真改」でした。 
 

 
真改の父「和泉守国貞」は、元和年間の刀工で、山城の国の「堀川国広」 
 
の門下で学び、摂津の国に移り住み、「初代河内守国助」共々大阪鍛冶 
 
の祖となった名匠でした。 
 

 
 幼いころから父の「国貞」に作刀を学び、成長するにつれて評判を呼び 
 
若くして「和泉守」を受領し、「菊紋」を授けられています。 
 

 
二代国貞を襲名しますが、当初は「井上和泉守国貞」と銘を切りましたが、 
 
寛文12年(1672年)に「真改」と改名し、後は、受領名を削除して

「井上真改」となっています。 

 
 別名を「大阪正宗」とも呼ばれ、優美な刀身や華やかな波紋、刀身の 
 
中程から物打ちにかけて焼き幅が広く、刃紋が鎬まで達する刀も存在 
 
します。 
 

 
 チャンバラ小説の代表でもある「池波正太郎」の「鬼平犯科帳」で、火 
 
盗改長官の「長谷川平蔵」が腰に差した「柳生拵え」の二尺三寸四分の 
 
愛刀が「井上真改」です。 
 

 
 評価:井上真改⇒1700万円~ 
 

 
   今週は、大阪鍛冶の二名の刀工を採り上げました。 

 
 
   この辺りの刀工の作は、チャンバラ小説ではちょくちょく出てきます。 
 

 
今週もお開きいただき感謝申し上げます!    元、7、26 坂入 拝 
 
 
 

みつかる