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刀剣について:其の23(妖刀村正)

2019年05月24日

おはようございます! 

 
金曜日雑学:リラックス担当、顧問の坂入です。 

 
 
TZC<113>刀剣について:其の23 

 
 
(22)伊勢の国:千五村正(徳川に祟る妖刀) 

 
 
 今週は、徳川家に祟る「妖刀:村正」伝説で有名な「千五村正」です。 
 
「村正」は、応永年間(1394~1428年)の刀工だと伝わります。 
 

 
伊勢の国(三重)で三代に亘って栄えた村正一門は、伊勢国司の「北 
 
畠家」を始めとする土地の郷士・武士たちに武用刀を供給した刀工でした。 

 
 
 父は、美濃の国の「関鍛冶」の一人で、名は「兼村」、其の師匠は「平安 
 
城長吉」で、応永年間に活躍した山城の国の名工でした。 

 
 
 「村正」の作風は、師「長吉」と酷似していたとも伝わります。 

 
 
 「村正」が妖刀と言われるには、徳川家との因縁が原因となっています。 
 
初めは、家康の祖父「松平清康」でした。家康が生まれる以前、天文4年 
 
(1535年)25歳で死亡した「清康」の死因は、隣国に侵攻中に家臣の

「安倍弥七郎」から受けた刀傷が元でした。この時の安倍弥七郎が用いた 
 
のが「村正」だったと伝わります。 

 
 
 二度目は、天文18年(1549年)、家康の嫡男「信康」が、武田との内通 
 
が疑われて、同盟先であった「織田信長」から切腹の命が出され、力関係 
 
から家康は拒否できず、受け入れ、切腹を断行させました。この時の介錯 
 
に使われたのが「村正」でした。 

 
 
 三度目は、関ケ原の戦いで、配下に属していた「織田信長」の甥「織田長 
 
孝」が、敵将を槍で仕留めたことを賞して、その槍を家康が検分したところ 
 
家康が槍の鞘を払う際に指を傷つけてしまいました。この槍が「村正」作の 
 
槍穂だと知った家康は、即座にこの槍を手折って処分してしまいました。 

 
 
 以来、「村正」の作刀類は、徳川家に祟るものとして、一族・家臣に所持を 
 
禁じる命を発したと伝わります。 

 
 
 いかし、逆に、豊臣恩顧の外様の諸大名は、秘かに「村正」を隠し持った 
 
とも伝わります。 

 
 
 評価:千五村正 ⇒1300万円~ 
 

 
 次週は、駿河の国の「島田義助」と重要文化財指定の刀剣28振りを・・・。 
 

 
                      元、5.24  坂入 拝