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メールマガジン

反面調査は国税ではなく納税者が行うこともできる

2019年08月08日

おはようございます!

 
税理士の松嶋と申します。 
 

 
本メルマガは、皆様が怖い怖い

 
とおっしゃる税務調査に対し、

 
勇気をもって戦えるノウハウを

 
解説しております。 
 
 
 
私のパートは【毎週木曜日】です。 
 
税務調査について分かりやすく

 
解説していきます。 
 
 
 
 
それでは、第二百二十五回目。 
 
 
テーマは、 
 
「反面調査は国税ではなく納税者が行うこともできる」です。 
 
 
 
取引先を調査する反面調査については、納税者と国税との間で多くの

 
トラブルに発展しています。 
 

 
取引先を調査されると、今後の取引に大きな悪影響を及ぼすことは

間違いないからです。

 
このため、 
 
反面調査だけは何とか差し止めをしてほしい 
 
というご要望をお客様から受けますが、反面調査の必要性は国税が

判断することになっていますので、差し止めは非常に難しいのが

正直なところです。 
 
 
 
 
困ったことに、反面調査の実施が納税者に対する大きなプレッシャー

になることを、質の悪い調査官は十分に承知しています。

中には反面調査を交渉材料にして、 
 
「修正申告書を提出してくれるのであれば、反面調査は差し控えます。」 
 
などと、納税者に不利益を与えようとする調査官さえ存在するほどです。 
 
 
 
反面調査の対策については、予め反論の方向性を定めておき、

粘り強く国税と交渉するより他にないというのが正直なところです。

この場合、まず押さえておくべき根拠は、国税の内規において 
 
「客観的に見てやむを得ない場合に限って反面調査を行う」 
 
とされていることです。このため、現状受けている税務調査について、

どうしても取引先に反面調査をしなければ、事実関係が国税が

分からない、という事情に該当するかどうかが問題になります。 
 
 
 
言い換えれば、十分な資料を保存しているため取引先に確認に

行く必要がない場合はもちろん、調査官に代わって取引先から

資料を持ってきます 
 
であるとか、 
 
調査官に代わって取引先に話を聞いてきます、といった場合も、

 
国税が反面調査をしなければならない必要性は乏しいと考えられます。 
 
 
 
調査官に代わって取引先に確認する、という点ですが、あまり多くの

税理士が実践しているとは思えませんが、私の経験上このように申し出ると、 
 
かなり高い確率で、国税が反面調査を差しとめてくれる 
 
という印象があります。 
 
 
 
以前受けた税務調査においても、 
 
「反面調査されると取引先からの信頼がなくなり会社が潰れるため、

 
社長が取引先に確認を取ることで認めて貰えないか。過去の

税務調査では認められましたので。」 
 
と申し出ましたら、我々の事情に調査官が配慮し、 
 
「社長がヒアリングした、取引先からの回答内容を聞いた上で、

 
再度反面調査の必要性を検討します。」 
 
という指導があり、一時的ですが反面調査を差し止めてもらえることが

できました。 
 
 
 
もちろん、税務調査先が国税に代わって取引先に確認をするとなると、

 
取引先と通謀するなどして、真実を隠ぺいされるリスクがあります。 
 

 
このため、国税がこのような提案を常に認めてくれるとは限りませんが、

税務調査は粘り強い交渉が重要ですから、反面調査を取りやめて

欲しいのであれば、 

 
「認められたという記事がありますよ。」と私のこの記事を見せて、

必ず国税の見解を問うべきでしょう。 
 
 
 
 
それではまた来週!! 
 
 
 
追伸、 
 
わたくし松嶋洋の詳しいプロフィール 
は以下のサイトからどうぞ!! 
 
↓↓↓ 
 
http://yo-matsushima.com/profile 
 
 
 
 
最後までお読みいただきありがとうございました。 
本メルマガは土日祝日はお休みさせて頂いております。 

なぜ信頼は失われたのか?

2019年08月07日

おはようございます。 
 
東京税経センターの市村祐記です。 
 
 
 
 
 
水曜日担当の私からは毎週 
 
職場によくある「人の問題」について 
 
「人材育成の基本」を踏まえて“あるべき姿” 
 
をお伝えしています。 
 
 
 
 
 
今回は「従業員から会社の信頼が失われたひとつの例」を 
 
お話したいと思います。 
 
 
 
 
部長が部下に対して仕事のミスを注意することは 
 
ごく自然なことですよね。 
 
 
 
ではその部長が一人の部下にだけ、集中して 
 
大きな怒鳴り声で、何分も罵声を浴びせていたとしたら 
 
どうでしょうか? 
 
 
 
周りの人が仕事ができなくなるくらいの大声で、

1ヶ月に多いときには2度、3度。 
 
 
 
勤務態度が悪いわけでも仕事ができないわけでもなく、 
 
不可抗力で連携のタイミングが部長の思惑とずれたりすることを 
 
「気が利かない」「私を理解する気持がない」 
 
「私の仕事の段取り分かっていない」 
 
といった理由で5分、10分、罵倒するのだそうです。 
 
(たぶんこの部長のような人は的確な指示が苦手なのだと思います) 
 
 
 
誰もどうすることもできません。報復がこわくて… 
 
 
 
1年以上も我慢していた部下も 
 
ついに心と胃腸を壊して「心療内科」行きに。 
 
 
 
職場の2人の同僚が堪り兼ねて専務に直訴しました。 
 
 
 
このことで専務が部長のパワハラをはじめて知ることに… 
 
「毎日専務は一体何を見ているのだろうか?」同僚二人は率直に思いました。 
 
 
 
その後、とりあえず、部長のパワハラ行為はなくなりましたが、 
 
急におとなしくなった部長に職場は皆戦々恐々。 
 
「次は自分がターゲットになるのでは」と… 
 
 

ひとりのメンバーが不安になって専務にたずねました。 
 
「部長はもうパワハラしないですよね・・・?」と。 
 
 
 
専務は「大丈夫だよ。僕に“済みませんでした”と謝っていたから」

とのこと。 
 
 
 
質問したメンバーは「…はあ…」

 
 
 
なぜ、部長は病院に行くまでの仕打ちをした部下に謝らない? 
 
なぜ、仕事の邪魔をし、雰囲気を最悪にした職場のメンバー達に説明もないの? 
 
なぜ、専務にだけ謝った? なぜ専務は“それでよし”としているの? 

 
   根本的な改善はしないの・・・? 

 
上司が自分のことしか考えず、その場しのぎ

を繰り返しているこの会社では、 
 
「従業員のほとんどの人が、上=会社を信頼することができない」

と帰宅後、家でせっせと転職活動をしています。 
 
 
 
“人はあなたが言ったことも、あなたがしたことも忘れてしまう 
 
だけど、あなたに対して抱いた感情を忘れることはない” 
 
by マヤ・アンジェロウ (詩人、作家) 
 
 
 
最後までお読みいただきありがとうございました。 
 
次回をお楽しみに! 
 

年金事務所の総合調査

2019年08月05日

おはようございます!
東京税経センターの井本です。
 
週末は、いつものトレーニング仲間達と
静岡県の西伊豆にある、
やまびこ荘という
廃校を公営の民宿に変えたところに
家族連れで泊ってきました。 

 
校舎に泊まるってことも
初めてのことだったので
とても新鮮でした。 

 
畳や布団があって
民宿っぽくなっているところもあるのですが、 

 
校則(マナーやルール)が
廊下に貼ってあったり 

 
朝食ができたときの案内も
放送部の女の子が話しているような
校内放送が流れたりします。 

 
5歳の長男も
畳の引かれた教室の上で
少し年長のお兄ちゃんたちと
取っ組み合いをしていたり 

近くの茂みに虫取りに行ったりと 

子供ながらの遊びをしていて
とても楽しそうでした。 

 
機会を作ってまたどこか
自然の中に行きたいものです。 
 

さて、そんな初体験をしてきましたが、
もう一つ、先週は初体験をしていました。 

 
年金事務所による
「総合調査」の立合いです。 

 
数年前から 

年金事務所は
いきなり書類を送ってきて 

「〇月〇日〇時より調査をしますので来るように」 
 

なんて、突然
日時を決めたうえで
呼びつけるようになりました。 

 
そんな調査に
縁あって会社側の人間として
立ち会うことができました。 
 

その中で、
当日持参するよう求められている書類の
一体どこを見るためのものかが
大体分かりましたので 

今日はそれを皆様にお伝えしますね。 

 

持参をするものは
全部で6項目ありますので
順番に見ていきましょう。 

1.労働者名簿 

かっこ書きで「作成している場合のみ」、
とのことでしたので
つまりマストではなかったので
持っていきませんでした。 

が、特に何も言われませんでした。 

 
2.2年分の賃金台帳 

昇給時など給与額の変更には月額変更届、
賞与支給時には賞与届などが
適切に提出されているかを確認するために
基本給をはじめ各種手当の支給状況と
その異動について確認します。 

 
3.2年分の出勤簿またはタイムカード 

2年分もタイムカードを持っていくとなると
量が膨大になって揃えるのが大変です、
と電話で事前に相談したところ、
ソフトで時間集計したものがあるのであれば
大丈夫ですとのことでした。

といいつつ、当日はその集計表は全く見ずに、
直近のタイムカードを1ヶ月分だけ持参したところ
被保険者になっていない
パートさんたちの日数や時間などを見ながらが
本当に加入義務がないかの確認を取っていました。 

また、残業代の未払いはないか?などは
特に見ていないような気がしました。
(質問がなかったので) 

 

4.直近の源泉所得税領収証書 

源泉所得税の納付書には、
該当する月の納税額だけでなく、
給与支給総額と延べ人数も記載されています。

その延べ人数等が持参した
賃金台帳やタイムカードの人数と一致していれば問題ないのですが
納付書の記載の人数の方が多い場合は、
隠している人がいるのではないか?
という疑いを持たれる可能性があるかもしれません。 

 
5.登記簿謄本のコピー
6.ゴム印や代表印 

例えば本店の異動があったとか
社名が変わったなどの変更がないかを確認するために
登記簿を用意させ、
変更があればそのまま異動届を提出されるために
印鑑も持参するようにしています。 
 
 (異動がない場合はその旨伝えれば
5.6.は特に不要のようでした。) 
 

という感じで、持参したものを
ざっくり30分ほど見て、 

 
特に何もございません。
ご協力ありがとうございました。 
 

と言われて無事終了でした。 

そりゃ、TZCで
ほぼほぼ処理していれば
問題があるわけないですよね。 
 

ただ、時間だけは取られてしまいます。 
 
それもなんか嫌だよね~ 
 

という方は、
ぜひTZCにも社労士まで
ぜひご相談ください。 

 
お客様に代わって
ご対応させていただきます。 
 

それにしても
社会保険料の負担って大きいですよね・・・ 

 
実は、10人以上社員がいる会社様なら
会社の魅力を上げつつ、
社保の削減の方法もございますので
ご興味がある方はぜひご連絡ください。 

(近いうちにメルマガでも
ご紹介させていただきます。) 
 

 
さあ、暑い日が続きますが
今週も頑張っていきましょう! 

刀剣について其の33

2019年08月02日

おはようございます! 
 
金曜日のリラックス担当、顧問の坂入です。 
 
 
 
<TZC123>刀剣について其の33 
 
 
今週も、二名の刀工をお送りします。 
 
 
(34)摂津の国:一竿子忠綱 
 
 
 一竿子忠綱は、万治年間(1658~1661年)の大阪鍛冶:近江守忠綱 
 
(通称:親忠綱)の子として生まれ、刀身彫刻の名手として元禄年間(168 
 
8~1704年)の著名な刀工です。 
 
 
 忠綱が好んだ絵柄は、刀身三に対して一程度の割合で、バランスよく 
 
巻き付いた「龍」の姿を表に彫り、裏に梵字を彫ったものでした。 
 
 
 他の刀工の作に彫るだけではなく、自作の刀剣に自ら彫った際には、 
 
「彫同然」「彫物同作」という銘を刀工銘に添えています。 
 
 
 元禄新刀は、反幕意識の強い「尾張藩士」の好みに合わせた豪壮な太刀 
 
を手掛けた尾張の国(名古屋)の関鍛冶などの例外を除いて、華奢な細身の 
 
刀身が主流でした。しかし、優美で気品のある様を重視した元禄新刀も、武 
 
用刀としての機能が欠如したわけでは無く、忠綱は、作刀技術の水準も高く 
 
有名なものでは、天明四年(1784年)千代田城内(江戸城内)で勃発した、 
 
「旗本:佐野善左衛門政信」による、若年寄「田沼山城守意知」への刃傷沙汰 
 
の際に使われた大脇差が、一竿子忠綱の作だと伝わります。 
 
 
 物語風に言うならば、一介の旗本が持てる刀ではなかったことから、田沼の 
 
政敵であった老中「松平定信」が暗殺用に貸し与えたのだと言われています。 
 
 
 評価:一竿子忠綱⇒1200万円 
 
 
 
(35)尾張の国:相模守政常 
 
 
  尾張の国(名古屋)には、「尾張関」という刀工集団が存在しました。

「関」は、隣国の美濃の国(岐阜)の不破の関を言います。 
 
 
 武用刀として、室町後期以来「太刀」「刀」の一大供給地でもありました。 
 
 
 しかし、関ケ原の戦い以来大量の刀剣の需要は無くなり、多くの刀工が集住 
 
した美濃の国では、一か所に定住する事が叶わなくなり、新刀期の関鍛冶は、 
 
新天地を求めて他所へと移住しました。 
 
 
 慶長年間の「相模守政常」は、徳川御三家の一つ、尾張徳川家を頼って尾張 
 
に移った「関鍛冶」の先駆けでした。この時期以前にも、室町期にも「志賀兼延」 
 
が関から尾張に移り、那古野の「志賀」に定住して「山田関」という一門を構えた 
 
という記録も有ります。 
 
 
 新刀期の「政常」は、天正年間(1573~1592年)に「相模守」の受領名を授 
 
かり、秀吉配下の武将「福島正則」に招聘されて尾張の国の清洲に移り住み、 
 
「美濃兼常」から「政常」に改名しています。主君「福島正則」はやがて徳川家康 
 
に臣従して関ケ原の戦い以降、安芸の国(広島)へ領地替えとなりますが、「政常 
 
一門」は尾張に残りました。 
 
 
 評価:初代政常⇒900万円~、二代政常⇒600万円~ 
 
 
    今週は、ここまでです。

来週は「武蔵の国(東京:江戸)の越前康継」を・・。 
 
                     元年8月 2日    坂入 拝 

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