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メールマガジン

刀剣について:其の20(波平一門)

2019年04月26日
おはようございます!

 

 

金曜日雑学担当、顧問の坂入です。

 

 

 

私からの、平成最後のメルマガです。

 

 

連休明けは、5月7日で、令和元年です。

 

 

 

<TZC110>刀剣について:其の20

 

 

 

(19)薩摩の国:波平一門

 

 

 

 「波平」一門は、薩摩の国(鹿児島)で数百年もの間、大和伝を

 

 

継承し続けた刀工集団です。

 

 

 

 その祖は、永延年間(987~989年)の大和の国(奈良)の刀

 

 

である「波平正国」だと伝えられています。但し、その作刀の現存は、

 

 

確認されていません。

 

 

 

 「波平の時代区分」は、永延年間のずっと後世となる、鎌倉時代中

 

 

期から南北朝の時代の「古波平」、室町時代中期以降の「末波平」

 

 

区分されているようです。

 

 

 

 鎌倉時代の豪壮な太刀姿が特徴となっている「古波平」は、一貫し

 

 

大和伝の作風となっています。

 

 

 

 時代が下がって、室町に至る過程で、山城伝や備前伝の技法も採用

 

 

されましたが、約4~5百年の間、大和伝を頑なに継承し続けたことに

 

 

「波平一門」の特徴でもありました。

 

 

 

 その特徴は「綾杉肌(あやすぎはだ)」です。

 

 

 

「綾杉肌」は、舞草(もうぐさ)鍛冶の末裔で、元暦年間(1184~1185

 

 

年)から建武年間(1334~1336年)の陸中の国(宮城北部から岩手

 

 

南部)で活躍した「宝寿一族」、建久年間(1190~1199年)の羽前の

 

 

国(山形)の「月山一門」の作刀に多く見ることのできる地肌です

 

 

 

 別名を「月山肌」とも呼ばれるものですが、薩摩の国の波平一門に

 

 

どうして東北の刀工と共通する技法が伝わったのかは不明です。

 

 

 

 但し、九州南部・沖縄と陸奥の国(東北の太平洋側)や蝦夷の国(

 

 

北北端から北海道)は、海路で交流していたことは史実上記録され

 

 

おり、このような遠隔地でも刀工の交流が有ったことは否定できません。

 

 

 

 一門の歴代刀工が襲名した「波平行安」という銘は、「波が平らか

 

 

行くこと安し」との語呂合わせが可能なことから、船による外航輸送に

 

 

重きを置いた薩摩の船人達に珍重され、荒海を航海する際の護身用

 

 

の刀剣としては頼りがいのあるものだったとも伝わります。

 

 

 

 「古波平」の時代は、永仁年間(1293~1299年)、「末波平」の時代

 

 

は、文明年間(1469~1487年)に存在したことは確認されており、銘

 

 

は、「古波平は<波平行安>」、「末波平は<波平行安作>」と切られて

 

 

いることが、違いの分かるポイントとなっています。

 

 

 

評価:古波平⇒900万円~   末波平⇒500万円~

 

 

                         31.4.26  坂入 拝

 

 

*来週、5月3日は、ゴールデンウイークのため休載とさせて頂きます!

 

 

  再来週の5月10日は、建武年間:山城の国の「信国」です。

 

みつかる