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刀剣について其の12(左近国綱)

2019年03月01日

おはようございます! 
 
金曜日雑学担当、顧問の坂入です。 
 
 
TZC<102>:刀剣について其の12 
 
 
(11)相模の国:左近国綱(鬼丸国綱) 
 
 
 鎌倉鍛冶の歴史は、備前の国「藤源次助真」、同じく「備前三郎国宗」 
 
と山城の国「左近国綱」の三刀工が北条氏の招きに応じて鎌倉に移住 
 
したことから始まったと伝わります。 
 
 
 相模の国鎌倉に在地したそれまでの鎌倉の刀工達は、備前伝と山城 
 
伝の技術を携えて移住してきた三刀工に刺激を受けて、技術の錬磨が 
 
盛んになったとも言われています。 
 
 
 鎌倉に山城伝の作刀技術を持ち込んだ「左近国綱」は、元久年間

(1204~1206年)の刀工で、粟田口一門の「国家」の六男として生ま 
 
れました。北条五代執権「時頼」に見込まれて鎌倉に定住し、多くの刀剣 
 
を鍛えました。 
 
 
 特に有名なのが「鬼丸国綱」の一振りです。天下五剣の一振りにも数え 
 
られ、北条氏を祟った鬼を退治したとの伝説からの命名だとされています。 
 
 
 源氏を根絶やしして幕府の実権を握った初代執権「北条時政」は、夜な 
 
夜な枕もとを徘徊する小鬼に悩まされ、病床につきました。そんなある日 
 
「国綱」に打たせた太刀の化身と称する老爺が現れて、救ってやりたいが 
 
錆びて鞘から抜け出せないと「時政」に訴えました。「時政」は、急いで太 
 
刀の手入れを行わせて、居間の柱に立てかけて夜の訪れを待ちました。 
 
 すると、太刀は一人で倒れて火鉢の台に現れた小鬼を火鉢ごと切り落 
 
とし、この小鬼が、悪夢を見せていたのだと伝えました。 
 
 
 刀身は二尺六寸、反りが3.7㎝と深く、武家政権の鎌倉時代ならでは 
 
の剛刀です。幕府滅亡後は、「新田義貞」に伝わり、「義貞」は茨木童子 
 
斬りの伝説を持つ秘蔵の「鬼丸」と一緒に佩刀したとも伝わります。 
 
 
 「国綱」の後継者は鎌倉生まれの実子「新藤五国光」です。永仁年間

(1293~1299年)の刀工で、名物「会津新藤五」を始めとする粟田口派 
 
の山城伝を遵守した作風の短刀を数多く鍛えました。 
 
 又、「国光」は、刀身の裏に「素剣」「護摩箸」「梵字」等を刻む刀剣彫刻 
 
を得意としたことでも有名です。 
 
 
 評価⇒鬼丸国綱:1800万円~ 
 
    来週は「藤源次助真」(日光助真)を予定しています。 
 
                         31.3.1    坂入 拝 

みつかる