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剣術と刀剣:その7(2018/04/27)


 

 

 

 

おはようございます!
金曜日担当、顧問の坂入です。

 

毎週末は、税金から解放されて、チャンバラ小説から、

勝手な情報をお送りしています。

 

今週は、「剣術と刀剣」をテーマとした、ながーいシリーズの

7回目です。まだ、剣術の流派の話には入りません。

 

<剣術と刀剣:その7>

 

剣術流派勃興以前の武士の嗜みとしての「武術」は「弓馬の術」

と述べてきました。源平合戦の錦絵に描かれている姿は「全身を

鎧兜(よろいかぶと)で身を防御した武将が、長巻(薙刀など)を

脇に構えて、馬に乗って」という状態です。

 

この時代の集団戦の戦い方は、先ず、遠くから互いに矢を射て、

次に、集団の激突へと移ります。この集団戦のなかで、大将同士

が、騎乗状態で槍や薙刀を構えて、「やーやー我こそは・・・・・」と

名乗り合って、互いに馬を走らせて接近して、槍や薙刀で突き合

い、打ち合うという戦法でした。

 

しかし、このシーンは、江戸時代になって「軍記物」と呼ばれる講

釈:講談の場面を盛り上げるために創作されたものだという説も

有ります。

 

実際は、騎乗状態での弓を放ちあい、接近戦では馬が倒され、

下馬した状態での槍の突き合い、太刀での打ち合い(斬り合い

ではありません)だったようです。

 

乗馬を経験したことのある方ならば当然だと思うでしょう。騎乗

し駆け足状態で手綱から手を離して鐙(あぶみ)に足をかけた

まま重い槍や薙刀を振るうことなど到底不可能です。ましてや

数十キロの甲冑を着けたままです。

 

一方、我が国の「刀剣」が、真っ直ぐな「直刀」から、反りのある

「彎刀」に進化したのは、平安初期の、朝廷軍が陸奥の国の蝦

夷制圧の為に派遣した「征夷大将軍」以下の軍隊が、馬上戦闘

に長けた「蝦夷軍」に苦戦を強いられたことに起因しました。

 

蝦夷の鍛冶が生み出した、蝦夷の彎刀である「蕨手刀」が朝廷

軍の「直刀」と打ち合うと、直刀が折れたことが苦戦の要因だった

ことに気付いた征夷大将軍の坂上田村麻呂は、都で反りのある

「毛抜形太刀」を作刀させて対抗しました。

 

征夷大将軍の蝦夷討伐戦は、刀剣の変遷に関しては、一大転

換期をもたらしたものでした。

 

話を戻しますが、武術の中心は「弓馬の術」で、古来より、武士

を「弓矢とるもの」と呼ぶのは、弓術、とりわけ「騎射」の技術が

求められた証拠です。合戦の際に、騎馬武者に要求されたのは

迅速に移動しながら弓を射ることのようでした。馬上のまま刀を

振るうことは前述のように不可能に近いものでした。

 

現代も、各地の神社での祭礼で、「神事」として、「流鏑馬(やぶ

さめ)」が行われるのは、この騎馬武者の武術の名残でしょう。

来週は、素肌剣術の中でも特殊な技とされた「居合術」を簡単に

説明して、再来週から、いよいよ本格的に「剣術の流派」について

述べたいと考えています。
ゴールデンウイークです。
買いだめしてあるチャンバラ小説のまとめ読みのチャンスです!!
もう少し雑学の許容量を増やしたいと考えています(>0<)
30. 4. 27 坂入  拝

 

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