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剣術と刀剣:その4(2018/04/06)


 

 

 

 

おはようございます!
金曜日担当、顧問の坂入です。

 

<剣術と刀剣:その4>

刀剣(と剣術)の変遷は

 

刀剣のルーツは、古代の「磨製石剣」に遡ると言われています。

それ以前の「打製石器」が「磨製石器」に移行したのが約1万2千

年前。縄文または新石器時代と呼ばれる時代だそうです。

変化の原因は、従来の狩猟用であれば打製石器や磨製石器で

十分機能しましたが、「金属の剣」が求められるようになったのは、

対人戦闘、それも集団による組織的戦闘が勃発した「弥生時代」

に至ってからのようです。

 

自然の恵みを求めて狩猟地・採取地を求めて移動した時代は、

対人戦闘は存在しませんでした。獲物である野生の動植物を狩

猟・採取するための「棍棒」や「磨製の石器の矢」或いは「磨製石

器の小刀」で充分でした。

 

それが、稲作などが生活の中心となった弥生時代になると、集

落単位での耕作地や灌漑施設の確保、余剰作物の奪い合いが

始まりました。つまり、狩猟時代から農耕時代になるに従って、

耕作地の拡大が求められ、従来の先住民族である狩猟民族を

追い払うだけでなく、隣接するより良い農耕地や灌漑施設、つま

り、領地争いへと移っていきました。

 

この争いに勝利するためには、他の部族や隣接する集落より

優れた農具や武具が求められ、木製や石器から青銅器に、青

銅器から鉄製へと変遷しました。

 

鋳造製の青銅器から鍛造式の鉄器(青銅剣から鉄剣へ)に変

遷した古墳時代前期(3世紀後半~4世紀末)には、日本最古と

言われる「刀術」が、常陸の国(茨城県南部)鹿島神宮の祝部

(ほふりべ)、つまり、神官であった「国摩真人(くになずのまひと)

によって編み出された「鹿島の太刀」です。この「鹿島の太刀」を

基本とした「関東七流(或いは坂東七流)」と呼ばれる刀術が発祥

し、爾来、連綿と現代まで伝承されてきました。

 

当時の剣は、両刃(もろは)の直刀で、斬撃よりも刺突が中心の

刀術だったと考えられています。同時に、この剣の制作過程では

「焼き」が入っておらず、斬り付けると折れやすかったとも伝わりま

す。後に、渡来した鍛造技術によって、飛鳥・奈良時代には剣の

国産化が進み、平安時代になると刀身に鎬(しのぎ)と反りが設け

られるようになります。

 

前回までの「征夷大将軍」考察で述べました、「蝦夷征伐」で、当

初は朝廷軍の敗戦が繰り返されました。原因は、朝廷軍の剣は従

来の直刀で蝦夷軍の剣は「蕨手刀(わらびてとう)」と呼ばれた反り

のある剣でした。

 

直刀と蕨手刀で打ち合うと、直刀は折れ、彎刀(わんとう:反りのある

形状)の蕨手刀には勝てませんでした。このことに気付いた2代目征

夷大将軍の「坂上田村麻呂」は、都で反りのある剣(彎刀)を作刀さ

せたと伝わります。(この時の坂上田村麻呂の佩刀を「ソハヤノツル

ギ」と呼びました)。

以来、朝廷軍が彎刀を手にしたことで、阿弖流為(アテルイ)を統領

とした蝦夷の抵抗軍を制圧することに成功します。

 

*坂上田村麻呂の「ソハヤノツルギ」は、後の世に「三池典太光世」

によって「写し」が作刀され、現在、倉敷刀剣美術館に所蔵されて

います。

 

30.4.6 金曜日雑学担当  坂入 拝

 

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