おはようございます!
金曜日担当、顧問の坂入です。
ちゃんばら小説愛好家の小生からの雑学情報です。
嵌った切っ掛けは、朝の車内でのストレス発散でした。
では、剣術と刀剣の話の、その2の始まりです!
<剣術と刀剣:その2>
武士と刀術の始まり
「悪は何時かは敗れ、最後は正義が勝つ!」これがチャンバラ
小説のストーリーです。
電車内での読書としては、単純明快、ストレス発散には最適、安心
して読み続けることが出来ます。
武者修行の旅の途上で、群がる敵(大概は悪役です)を、ヒーロー
でもある主人公が、一人で薙ぎ倒して弱者を救うというワンパターン
のストーリーですが、その主人公が遣う「刀術(流派)」と所持使用す
る「佩刀:銘刀」が準主役となり、そこに作家の発想と展開が加わる
ことで一喜一憂しています。
「剣客」或いは「剣豪」と言うと、剣の遣い手であると同時に、剣術
(刀術を以後は剣術と言います)の創始者或いはその流派の伝承
者・皆伝者でもあります。
「武術」=「剣術」というイメージをお持ちの方が殆んどでしょうが、
武士が日本の歴史上に認識され始めの頃は「武士の武術」は「剣
術(刀術)」ではなく、「弓馬の術」でした。
つまり、騎乗して弓を射る、槍や薙刀で突き合い、叩き合うことが
武術でした。腰に佩した太刀は、倒した敵の首を落とす道具でした。
保元の乱で讃岐に配流され朝廷を恨んだまま没した「崇徳院」の
怨念の言葉の通り、平氏や源氏といった武士が台頭して、公家に
代わって武士が執政権を持つ時代に突入しますが、この時代の武
術は、前述のように騎乗の状態での騎射、槍・長巻での打ち合いで
したが、戦いの場、戦場では軽輩の歩兵が組織され、棒や槍に加え
て、歩兵同士の「刀」での殴り合い(斬り合いではありません)が戦闘
の中心となり、「槍術」や「棒術」と同時に「刀術」が軽輩の修練の一
部になりました。
一対一の太刀で互いに構えあう剣術は、室町後期に入って現れ
ました。自己の修練した刀術流派を以って、将軍や朝廷での上覧
試合で披露され、「天下一」「日の本一」の称号を授けられることで、
世に認知されるようになりました。
単独での「剣術修行」は、集団戦の中では、自軍の戦力には大き
く影響しなかったことから、剣術の鍛錬に重きを置いた武将は、仕
える領主の許可を得て、自軍を離れて諸国武者修行に出ることに
なります。
個人の技量とした「剣術」の発生・発展は室町後期以降のものだ
と伝わり、室町後期から戦国時代にかけて、剣術の源流となる「流
派」が創始されるに至りました。
その代表例が、上野の国の大胡城主であった「上和泉伊勢守」で
あり、流派は「新陰流」でした。
詳細は、後段の個別の解説に・・・ご期待を。
次回は、「刀」の始まりを・・・。
30,3,23 金曜日雑学担当 坂入 拝
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