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征夷大将軍(最終回)(2018/03/09)


 

 

 

 

おはようございます!
金曜日担当、顧問の坂入です。

 

征夷大将軍の最終回です!!!

 

1603年、関ヶ原の戦いで西軍に勝利した東軍の将「徳川家康」

が、清和源氏の末裔であることを背景として、31人目の「征夷大

将軍」に就任しました。家康は、足利幕府が都に幕府を置いたこ

とを主な要因とした幕府崩壊の経験を参考として、朝廷との距離

を考慮し、江戸に幕府を開き、幕府の権威維持のため「武家諸法

度」「公家諸法度」を定めて、武力でもって朝廷を従えさせて「権力

と権威」の両面を幕府のものとし、朝廷に代わって執政権の全面

を持つことになりました。

 

爾来、約270年後の1867年、通算して45人目(徳川15代目)

の征夷大将軍「徳川慶喜」が、京の二条城で「大政奉還(執政権を

朝廷に還すこと)」をしたことで、徳川幕府は消滅すると同時に、約

1千年続いた征夷大将軍も消滅しました。

 

しかし、「征夷」が無くなったはずの江戸時代の末期に、再び「夷」

が復活しました。それは、「攘夷」です。

 

「攘夷」とは、「黒船で来航した欧米人を「夷」と定義づけて、これを

討ち帰す」という意味です。

 

農耕民族である日本民族が、渡来する欧米の外国人を「狩猟する

民族=夷」として対峙させることで、頻繁に来航して鎖国状態の幕府

(日本と言う国)に交易を強要した欧米列強に対して弱腰の不平等和

親条約を締結し、朝廷の許しを得ないまま修好条約を締結した幕府

に対して、薩長を中心とした西国諸侯で、来襲する欧米列強国を「夷」

と位置づけ、これを武力で排除すべきという「攘夷論」が盛んに論じら

れるようになります。攘夷論は、「朝廷を中心とする尊皇派と徳川幕府

を中心とする佐幕派に分かれた国論を、攘夷という共通の目標を掲げ

ることで国内の一致団結を図ろうとした。」ものへと発展しました。

 

これが、日本における最後の「夷」でしたが、この「夷」を討つべき「征

夷大将軍」はもう任命されませんでした。

*参考 <徳川幕府歴代の征夷大将軍>
1603年 慶長 8年   31代(徳川初代)  徳川家康
1605年 慶長10年   32     2代       秀忠
1623年 元和 9年   33     3代       家光
1651年 慶安 4年   34     4代       家綱
1680年 延宝 8年   35     5代       綱吉
1709年 宝永 6年   36     6代       家宣

(1710年 宝永7年 「徳川綱重(家宣の父)」は、
没後に征夷大将軍を追贈された。)

1713年 正徳 3年   37     7代      家継
1716年 享保 元年   38     8代      吉宗
1745年 延享 2年   39     9代      家重
1760年 宝暦10年   40    10代      家治
1787年 天明 7年   41    11代      家斉
1837年 天保 8年   42    12代      家慶
1853年 嘉永 6年   43    13代      家定
1858年 安政 5年   44    14代      家茂
1867年 慶応 2年   45    15代      慶喜

・・・⇒陽暦1868年1月3日、陰暦慶応3年12月9日解任され、
維新後に、最後の征夷大将軍慶喜は、従一位公爵貴族
院議員となっています。

征夷大将軍の話は、これで終わります。

ロングランになりますが、来週からは「剣術」、続いて「日本刀」

について思いつくままに、お届けしたいと考えております。

30,3,9 金曜日雑学担当 坂入 拝

 

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