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東京税経メルマガ



忠臣蔵の真実(2017/11/17)


 

 

 

 

おはようございます!
東京税経センター顧問の坂入です。

毎朝のメルマガは、硬い税務や経営の話だけを読み続
けると肩が凝ってきます。

週末の朝は、税務の話ではなく、わたくし個人の勝手な
趣味となっています「チャンバラ小説・時代劇小説」から・・・。
興味が無い皆さんにも、「こんな見方もあるのだなー」
と・・・・・斜めに読み流していただければ幸いです。

 

先週までの、下総の偉人シリーズは数回中断します。

 

何故か?前々回のテーマで度々出てきました「忠臣蔵」への個人的

見解「忠臣蔵の真実」について、そろそろ、その時期を迎えることから

下総の偉人:その2「大原幽学」のことを述べる前に、中断して、12月

14日までに、忠臣蔵のことの新見解を述べさせていただきます。

 

年末を迎えると、テレビドラマは「忠臣蔵もの」が、毎年企画放映され

ています。日本人の判官贔屓(ほうがんびいき)から、心の琴線に触れ、

愛され続け、時代の変遷に逆らうかのごとく、赤穂四十七士の仇討物語

に、ついつい引き込まれます。

 

<物語の経緯>
一般的には、上司のいじめに耐えきれなくなった赤穂の浅野家の領主

「浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)」が、江戸城の松の廊下で、上司で

ある「吉良上野介(きらこうずけのすけ)」を相手に、堪忍袋の緒を切らして

刀傷沙汰を引き起こし、喧嘩両成敗のはずの武家諸法度の時代に、時の

幕府は一方的に、「浅野家」のお家断絶と「内匠頭」への切腹の沙汰を出し、

上野介にはお構いなしの沙汰を出したことが、庶民はこれを非難し、浅野

家遺臣の敵討ちを支持、此れに応えて、家老「大石内蔵助(おおいしくらの

すけ)」を頭として、47名の遺臣がお家再興を画策したり、再興の道が閉ざ

されると、京の丸山会議での仇討決意を経由して、浪士(主家を取り潰され

て浪人身分となった侍たち)が個々に江戸入りして、庶民や幕臣の協力で

江戸に潜伏し仇討の機会を窺がい、艱難辛苦の末に、元禄15年(1703年)

12月14日未明の雪の舞う中、本所回向院裏の「吉良邸」に討ち入りして、

上野介の首を打ち取り、江戸庶民の喝采を得た物語です。

 

この物語の最終章は、敵討ちを成し遂げた四十七士がそれぞれ預けられ

た先で、幕府の裁定で切腹させられ、領主の葬られた芝大木戸の外の泉岳

寺に共に葬られたことで、物語は終わっています。

 

<その後の真実は>

1.吉良家のその後

吉良家は領主の上野介が四十七士によって打ち取られますが、吉良家の

悲劇は止まりませんでした。

本当の悲劇は、ここからが始まりでした。

上野介の実子で出羽の国「米沢の上杉家」に養嫡子に入っていた「上杉

綱紀」は、父を救えなかったことを悔やんで、1年後に悶死してしまいます。

上野介の妻は、実子綱紀の死を嘆いて、綱紀の死後2か月で後を追うよう

にして病死します。

さらに、上野介の孫で吉良家の養嫡男となっていた「吉良佐兵衛」は、討ち

入りで深手を受けるまで赤穂浪士と戦いましたが、幕府は「父を守らなかった」

という言いがかりで、吉良家を断絶させ、領地を没収して「佐兵衛」は信州へ

流罪となり、3年後には流刑地で病没します。

この結果、吉良家の血筋は耐えることになりました。

 

2.浅野家のその後

吉良家の滅亡に反して、刀傷沙汰を起こしてお家断絶の沙汰を受けていた

浅野家は、いったん出された「お家取り潰し」は後に変更されて「お家再興」

が果たされ、吉良邸に討ち入って切腹の沙汰を受けた四十七士の18名の

子息たちも一旦流罪となりましたが後に全員許されて、切腹させられた父親

たちを評価した諸国の大名に、父親以上の石高で召し抱えられています。

 

3.忠臣蔵の真実は、「幕府による吉良家抹殺」だったという研究家も・・・。

 

何故幕府は吉良家を抹殺しなければならなかったのか?

 

について述べましょう。いろんなチャンバラ小説作家の、ストーリー構成上の

立ち位置で、読み手側が勝手に推し測ることが出来ます。

 

浅野内匠頭が、江戸城内の松の廊下で上司である吉良上野介に斬り付け

、それも朝廷の使者が江戸城に来ている場面での刀傷沙汰です。徳川幕府

にとっては前代未聞の破廉恥行為で、無礼極まりない所業であることは間違

いなく、浅野内匠頭への切腹の沙汰当然でした。

しかし、ここからの成り行きが変な方向へと進みます。

最終的には、吉良家の滅亡へと繋がりました。

 

幕府は、吉良家の血筋はだれ一人残さず、徹底的に吉良家滅亡へと追い

込みました。

 

何故?これほどまで徳川幕府は吉良家を嫌い、憎んだのか?

 

このテーマで、来週以降で、検証します。

 

ポイントは、徳川家・吉良家それぞれの出自と、徳川家の発祥の地と吉良家

の領地の所在場所に関わりました。

 

来週以降を、お楽しみに!
29.11.17   坂入

 

 


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