おはようございます!
東京税経センター顧問の坂入です。
毎朝のメルマガは、硬い税務や経営の話だけを読み続
けると肩が凝ってきます。
週末の朝は、税務の話ではなく、わたくし個人の勝手な
趣味となっています「チャンバラ小説・時代劇小説」から・・・。
興味が無い皆さんにも、「こんな見方もあるのだなー」
と・・・・・斜めに読み流していただければ幸いです。
下総の偉人:その1「伊能忠敬」第4回
忠敬の没後、中国:清との「お茶の木探査=プラントハンター」交渉を、「アヘン
戦争」で成功して「お茶の木」をインドに持ち帰ったイギリスは、続いて、日本への
開港と通商要望の交渉の為来訪しました、交渉の一端として、幕府に対して「日本
の沿岸の測量」を強要し、強引に測量を始めました。
ところが、これに立ち会った幕府役人が所持していた「伊能図」を目にして、
その正確さに驚愕し、自分たちの測量を中止して、日本を東洋の未開の地、後進
国だと決めつけてきた認識を改め、見下した態度を改め、清国に対するような侵
略的交渉を諦めたとも伝わります。
また、至時の子の「景安」が、シーボルトに「伊能図」を密かに渡したことが発覚
した「シーボルト事件」で獄死しますが、シーボルトが持ち帰った「伊能図」は、当時
世界中で日本を知るための教書になったとも言われています。
忠敬68歳の時の、九州測量の中の「九十九島、平戸、壱岐、対馬」の測量の際に
相浦で詠んだ忠敬の歌が残されています。
七十に近き春にぞ あひの浦 九十九島を いきの松原
「もうすぐ古稀を迎える68歳の新年に、この相浦で、測量中の九十九島の如く、99歳
まで生きて(壱岐にかけた言葉) 測量を続けたいものだ」
と言う意味の歌だと言われています。
さて、忠敬の秘めた目的であった、子午線1度の距離の歩測は、つまり、地球一周
の大きさ、長さはどうなったのでしょうか?
日本全国を踏査したことで忠敬が得た子午線1度の距離は、28里2分(約110.
75㎞)と算定されました。これを360倍した地球一周の距離は「1万152里(約4万
608㎞)」となります。
現在の測量値では「4万9㎞」となっていますので、忠敬の歩測による算定距離との
誤差は、僅か「0.15%」となり、この歩測がいかに正確に1歩を2尺3寸で確実に、
手を抜かず、足を抜かず?に、約4千万歩も歩き通したことの積み重ねの成果だと
すれば、驚異以外の何物でもありません。
伊能忠敬を書いた小説は多くありませんが、井上ひさし著の「四千万歩の男」を
お勧めします。
*参考1
伊能忠敬測量日記の書きだしです
「寛政十二年 庚申年 壬四月蒙
台命 蝦夷地に志向したる道中の記
閏 四月十九日 朝五つ前 深川出立 上下六人 伊能勘解由 門倉隼大
平山宗平 伊能秀蔵・・・・・・皆 朝より小雨模様に 深川八幡宮詣でて
両国道より支天台立ち寄り高橋先生に御酒・・・・・・・・
上記の書き出しで測量日記が始まっています。現在の富岡八幡宮に測量旅
の無事を祈願し、蔵前の支天台に立ち寄って、師の高橋至時と別れの盃を
酌み交わして、千住宿まで大川を船で遡行し、千住宿から旅が始まります。
富岡八幡の境内と佐原の実家の庭の二か所に、忠敬の測量旅への第一歩
を踏み出す銅像が建てられています。
また、JR佐原駅の改札を出て駅舎を一歩出た正面の足元に、一歩2尺3寸
の足跡のプレートが埋め込まれています。富岡八幡も佐原の街も一度訪れ
てみることをお勧めします。
*参考2
「支天台」のことをちょっと
深川から両国橋で大川(隅田川)を渡って、柳橋で神田川を渡り、左折します。
船宿が並ぶ川筋を進んで浅草橋の架かる江戸通りに出ます。浅草橋の際には、
「浅草見附」(江戸城36見附の1つ)があり、奥州街道を見張る重要な場所でした。
現代でいうと、この江戸通りを浅草方面に北上して、JR総武線のガードを潜り
右手は江戸時代の「御米蔵」の有った蔵前一帯で、幕府直轄地からの年貢米が
集荷された場所です。67棟354戸の蔵が八本の掘割に軒を並べたところです。
ここを直進すると「支天台」はもうすぐです。「天文屋敷・頒暦所・御用屋敷」など
と当時の切絵図に表示されています。
高さ9.3m、周囲93mの築山の上に5.5m四方の天文台が築かれていたよ
うです。
葛飾北斎の「富岳百景:鳥越の不二」には、天文台の観測機器が描かれてい
ます。
伊能忠敬についてはここまでです。
佐原の街には、伊能忠敬の商家がそのまま保存され、実家の目の前を流れる
小野川の向かい側には「忠敬記念館」が建設され、測量機器や「測量の原図(写
し)」等々が展示されています。是非一度は訪れて見学されることをお勧めいたし
ます。
追記
昨年まで、佐原の地には「伊能忠敬物語」を平成29年のNHKの大河ドラマに
採用してもらおうという運動が平成20年ごろから起こっていましたが、残念ながら
「女城主:直虎」に負けてしまいました。
脚本の柱となる「本」が少なかったこと、生涯女房を5人も変えたことが障害にな
ったとも噂されていますが、女房5人は死別で、今はやりの不倫離婚ではありません
ので、問題はなかったはずです。
さて、来週からは、下総の偉人は中断して「忠臣蔵異聞」を個人的な見解として4回
ほどに分けて述べてみたいと思います。
忠臣蔵の後の12月後半からは、皆さんのあまり知らないもう一人の下総の
偉人その2・・・「大原幽学」・・・のことを書きます!!
坂入 拝
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