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東京税経メルマガ



武士の暮らし(第2回)(2017/09/01)


 

 

 

 

おはようございます!
東京税経センター顧問の坂入です。

毎朝のメルマガは、硬い税務や経営の話だけを読み続
けると肩が凝ってきます。

週末の朝は、税務の話ではなく、わたくし個人の勝手な
趣味となっています「チャンバラ小説・時代劇小説」から・・・。
興味が無い皆さんにも、「こんな見方もあるのだなー」
と・・・・・斜めに読み流していただければ幸いです。

 

チャンバラ小説には、「小普請三十俵二人扶持」という幕府からの「米」で支給

される微禄の御家人がよく出てきます。大概は支給される「米」は向こう十年分

札差の借金の担保に取られて、いざという時の軍役(二人扶持:本人を含めて

二人)にも応じられない状況に置かれて、地回りの親分の用心棒や徒党を組ん

での乱暴狼藉振りが描かれています。・・・なぜそうなったかを書きます!

 

<武士の暮らしぶり>2回

 

「直参旗本と蔵米」

「直参旗本」の中でも「知行地」と呼ばれた所領地を授かって領地内からの

「年貢」を徴収する権利を所持した「地方取り」と言われる旗本は、極めて一

部の「高禄(例えば1千石以上の)の旗本」だけでした。

他の殆どの「小禄の旗本と御家人」は、「蔵米取り」と呼ばれる「幕府から米

による俸禄の支給」を受ける者たちでした。

 

*「地方取り(じかたどり)」と「蔵米取り(くらまいどり)」の違いは理解できた

でしょう。

 

幕府は、全国各地の「天領」と呼ばれた直轄地から、代官を通じて江戸に

年貢米を集めて(方法は主に河川や海を利用した舟運でした)、全国から集

荷され陸揚げされ大川筋に建てられた、浅草の「御米蔵」に保管させました。

 

この「御米蔵」を管理する役人に対して「蔵米取り」の幕臣は幕府から交付

された「支給手形」を役人に提出して、自分の「俸禄米」を受け取ることにな

ります。

 

この「御米蔵」のあった場所が、現代の「蔵前」です。つまり、浅草の蔵前は、

天領から集まってくる年貢米の保管場所と同時に、江戸で暮らす旗本・御家

人などの幕臣のための現物給与の支給場所でもあったのです。

 

「蔵米取り」と称された幕臣の中でも、直参旗本は「切り米取り」とも呼ばれる

「年に3回」、微禄の御家人は「扶持方」と呼ばれ、「毎月ごと」に決まった量の

米が支給されました。

 

米を支給されても、日常の暮らしは成り立ちません、加えて、他の生活物資

と物々交換できるわけでもなかったことから、受け取った米を換金することに

なります。

 

幕府も、旗本や御家人の暮らしの便宜のために、俸禄の一部を「御張紙値

段」という定められた換算率で、現金を用意しましたが、「御蔵米取り」の直参

旗本全員に現金支給することは、江戸城内の「御金蔵」にある公金だけでは

賄いきれません。従って、換金は各自の判断に委ねられ、幕臣たちは、支給

された「米」の中から自分たちが食べる分を「飯米」として確保した上で、残り

を「払い米」として米問屋に売ることで生活資金を得ました。

 

しかし、銭勘定に疎かった武士にとって売り先の米問屋との直接交渉は容易

でなく、それよりなにより、第一に御米蔵に出向いて、大量の米を受け取る作

業自体面倒なことでした。

 

「支給手形」自体、蔵米の出納・管理する「御蔵奉行」へそのまま提出すれば

よいわけではなく、手形を振り出す際の「改め役」である「書替奉行」の承認を

毎回受けて、裏印を貰わなければならないなど、とにかく手間暇のかかる作業

だったようです。

 

・・・大分細かいことまで書きましたが、とにかく武士の経済の基本は、

「米」だったことを先ず理解してください・・・・・

⇒この「農本主義経済」にこだわったことが、後の徳川幕府崩壊へと繋がった
という研究者もおります。

・・・今週は、ここまでです。・・・


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