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東京税経メルマガ



江戸四宿(20回)(2017/08/18)


 

 

 

 

おはようございます!
東京税経センター顧問の坂入です。

毎朝のメルマガは、硬い税務や経営の話だけを読み続
けると肩が凝ってきます。

週末の朝は、税務の話ではなく、わたくし個人の勝手な
趣味となっています「チャンバラ小説・時代劇小説」から・・・。
興味が無い皆さんにも、「こんな見方もあるのだなー」
と・・・・・斜めに読み流していただければ幸いです。

 

相変わらず、チャンバラ小説「江戸物」ネタです。

 

江戸四宿の最終回です。

 

江戸四宿の四

<千住宿:日光道・奥州道::脇往還「水戸道」>

 

勝手ながら、小生の住民票のある足立区の話ですので、いつもより

若干長くなりそうです。(厳密にいうと千住大橋南岸は荒川区ですが)

 

千住宿は、江戸日本橋から二里(約八キロ)、日光街道と奥州街道の

第一番目の宿場です。また、ここから、唯一、参勤交代が義務付けら

れなかった徳川御三家の水戸徳川家への脇往還「水戸道」もありまし

た。

 

慶長二年(1597年)に人馬継立に定められて宿場となりました。

 

参勤交代では、奥州の大名「会津の保科家」「仙台の伊達家」「盛岡

の南部家」「米沢の上杉家」「山形の水野家」「秋田の佐竹家」「津軽

の津軽家」等々譜代・外様の大大名が通る宿場です。

 

ちなみに、千住から分かれていた脇往還の水戸道は、徳川御三家の

水戸家は、唯一参勤が免除され、常時江戸に在府することが義務付

けられて、常に将軍の後見人的役割を担うことから、「副将軍」とも呼

ばれていました。つまり、参勤の行列は通りませんでした。

 

また、日光街道は、神上がりした家康「東照神君」の廟のある「日光」

への将軍家社参の為の街道として位置づけられていました。

 

後年の賑わいからして、江戸四宿のうち、筆頭はこの千住宿だった

とも伝わります。

 

当初は、1丁目から5丁目までの「本宿」だけでしたが、万治元年(

1658年)に荒川(上流を「荒川」中流域を「隅田川」下流の河口域を

「大川」と呼びました)土手にあった「掃部宿」「河原町」「橋戸町」を加え

万治三年(1661年)には、更に荒川南岸の「小塚原町」「中村町」が

加わって九か町という、現在の千住大橋(荒川区南千住北部)から北

に向かって北千住一帯を含んだ、町並み南北二十二丁(約2.5キロ)

家数1229軒、人口2500人、本陣と脇本陣各1軒、平旅籠141軒、

飯盛旅籠82軒という大きさだったと伝わります。

 

「大千住」とも呼ばれるくらいでした。

 

この地は、元来、荒川(流域の場所によって大川・隅田川とも呼

ばれました)と利根川(現在の江戸川)を利用した水運(当時の大

量輸送手段は舟運でした)の河岸として、近隣に止まらず関東近

郊からの江戸への農産品等の物資の流通の要所でもありました。

 

日本橋を起点として北へ向かう奥州道、日光道、水戸道などへ

の最初の宿場です。

 

幕末時には、戸数2300軒、人口1万人と他の三宿場を大幅に

凌ぎ、最も長い、規模の大きい宿場町となっていました。飯盛女

(遊女)を置く旅籠(妓楼)も数多くなり、官許の遊里「吉原」からも

近かったのですが、奥州道に向かって。人けのない田畑や小塚

原(こずかっぱら)の処刑場の脇を抜ける道(通称「吉野通り」は

別名「こつ通り」とも呼ばれ)夜間寂しいところでもありましたが、

ここを通り抜けて千住に遊びに行くには胆力が求められたとも言

われました。

 

妓楼のあるところは、1丁目から3丁目までが中心で、当時の物

の本では、

「この浄土、髪衣装は吉原の河岸を真似る」

 

とあるように、千住の飯盛女(遊女)は、吉原の河岸見世の遊女を

真似ていたことが想像できます。

 

一晩「四百文」という吉原の遊女よりはるかに安いあげ代だった

ことから、江戸庶民の人気を集め、街道を往来する旅人に加え

て江戸市中から、ちょっとした旅気分を味わいながら遊びに来る

人々で大いに賑わったと伝わります。

 

松尾芭蕉が「奥の細道」の始まりのシーンは、この「千住宿」から

のものでした。深川の「芭蕉庵」から友人知人と共に船で大川を

遡上して、千住大橋際の船着き場で下船して、見送りの仲間か

らの後ろ髪をひかれる思いを断ち切って、日光道への第一歩を

踏み出したのが「千住宿」でした。

 

また、日本中を踏査して「大日本沿海輿地全図」を作成した「伊

能忠孝」が1800年55歳で初めて第一次測量で陸奥や蝦夷地を

目指して旅立ったのも深川八幡から舟で千住まで遡上してこの

奥州街道を北上することから始まっています。

 

江戸の街造りと江戸四宿の話は、今回で終わります。

 

・・・来週以降の、チャンバラ小説からのよもやま話、さて、何を

テーマにしたらよいのやら・・・お楽しみに!・・・

 

暑い最中に、開いて読んでいただき、感謝申し上げます。

 

” 残暑 お見舞い 申し上げます ”

29. 8. 18   坂入 拝

 

 


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