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東京税経メルマガ



江戸四宿(8回)(2017/07/21)


おはようございます!
東京税経センター顧問の坂入です。

毎朝のメルマガは、硬い税務や経営の話だけを読み続
けると肩が凝ってきます。

週末の朝は、税務の話ではなく、わたくし個人の勝手な
趣味となっています「チャンバラ小説・時代劇小説」から・・・。
興味が無い皆さんにも、「こんな見方もあるのだなー」
と・・・・・斜めに読み流していただければ幸いです。

 

四宿の一<品川宿>

品川は、古くは安房(千葉県房州)や相模三浦からの魚介類

等の物資を武蔵の国へ供給する湊町としてある程度は栄えて

いました。

 

家康による幕府開闢に伴って、旧来の「相模から三浦半島を

抜けて浦賀水道を超えて安房の国から上総・下総・常陸へと向

かっていた、つまり、東海道は、京の都から常陸の国への海沿

いの道だったのです」東海道筋を、藤沢から鎌倉に向かわずに

北上して遊行寺の横をを通って、神奈川、川崎、品川へと通じて

江戸に入る街道筋が新たな東海道として整備されました。

 

新たに、江戸から京の都への東海道53次(53の宿場)が定め

られ、西国から東海道を下って江戸に入る直前の宿場として品川

が定められたのでした。

 

東海筋(駿河、三河)から以西の大多数の大名が指定された参勤

交代の為の街道で、他の3街道筋よりも、多くの大名が通過する街

道筋の宿場です。

 

江戸湾を通じた湊としての機能に加えて、参勤交代最後の宿場

となったことが、後々の繁栄へとつながりました。

 

江戸を出て最初の宿場ですが、江戸の日本橋を早立ちして西へ

上る旅人は、この最初の宿場は休憩こそすれ、泊まることはありま

せんでした。せいぜい、見送りに来た縁者や友人による「送別の宴」

を開いて名残を惜しむ宿場でした。

 

西に向かう旅人の最初の宿泊地は、男の足で戸塚宿あたりが一

日目の宿泊地となるのが通常の行程でした。

 

一方、本来の目的である、参勤で地方の領地から、京や尾張、

駿河、箱根を経由してきた大名行列が、江戸に入る前の最後の宿

場としたのが「品川宿」でした。

最後の宿泊或いは休憩で、長旅の汚れを落とし、大名家としての

権威を保持すべき身支度を整えて江戸入りするための宿場となり

ました。

 

宿場としての機能に加えて、品川は、袖ケ浦とも呼ばれた海岸や

海晏寺の紅葉など風光明媚な江戸庶民の行楽地として旅人だけで

なく江戸の老若男女にも慕われた景勝地でもありました。

 

江戸に入る最後の宿場として、旅の最後の享楽の地ともなりました。

当初は、江戸に入る旅人目当ての遊女が旅籠に置かれ(食売り旅籠)

「飯盛り女」とも呼ばれる遊女を、「旅の恥は、かき捨て」の最後のチャ

ンスとばかりに人気を博しました。

 

後には、約500人の遊女を抱えるまでに隆盛をみるに至りますが、

その客の大半は、江戸に入る旅人ではなく、圧倒的に多く居住した、

男社会の、職人や手代、地方から参勤で単身赴任する武士などが、

官許の遊戯「吉原」に飽き足らない、或は金銭的に吉原に通えない

下級武士や長屋暮らしの江戸の男が、ちょっとした旅気分と一夜の

喜びを求めて東海道筋の品川宿に押しかけました。

 

東海道は、前述のように、江戸から西の諸国の大名が指定されて

経由する街道とされ、「品川宿」は、最も多くの参勤交代が通過する

宿場に加えて江戸庶民の行楽地、貧乏暮らしの下級武士の享楽の

場となりました。

 

・・・来週は、中山道の「板橋宿」です。・・・

 

 

 

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