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東京税経メルマガ



江戸四宿(4回)(2017/06/23)


おはようございます!
東京税経センター顧問の坂入です。

毎朝のメルマガは、硬い税務や経営の話だけを読み続
けると肩が凝ってきます。

週末の朝は、税務の話ではなく、わたくし個人の勝手な
趣味となっています「チャンバラ小説・時代劇小説」から・・・。
興味が無い皆さんにも、「こんな見方もあるのだなー」
と・・・・・斜めに読み流していただければ幸いです。

 

天下普請

 

慶長8年(1603年)徳川家康は、念願の「征夷大将軍」に就任し、

江戸に幕府を開くと同時に、本格的な江戸の街づくりに着手します。

 

幕府は、諸国の大名に、その石高に応じた人員を動員させて、それ

ぞれの担当を定めて、江戸の街の整備(日比谷入江の埋め立て)や

旧江戸城の改築に当たらせました。これを「天下普請」と呼びます。

 

天下普請は、数度にわたって実施され、江戸城の建築、市街地の造

成整備、街道や運河の整備、神田上水の開設等々、都市機能つまり

インフラ整備を行いました。

 

江戸城を中心とした工事現場の入り口は「鎌倉河岸」に置かれて、全

国各地からの建築資材(石材と木材)は、この鎌倉河岸から陸揚げさ

れました。現在の外堀通りと日比谷通りの間の日本橋川の岸です。

 

当方の事務所の目の前の首都高速の神田橋インターの真下です。

 

現在も、首都高の下の薄暗い日本橋川沿いに、当時の河岸の石垣

がそのまま残っています。

 

三代将軍家光の寛永14年(1637年)に江戸城本丸が完成して、本

格的な桃山文化の気風を再現した江戸城や江戸の武家屋敷街中心

の町並みの完成を見るに至りました。

 

「参勤交代」が実際に制度化され、本格的に実施されたのも三代家

光の時代からのようですが、それ以前も大名が自発的に将軍拝謁

のために江戸に参勤していました。しかし、正式な定めとしての内容

は、諸大名の妻子は人質として江戸に居住させられ、領主である大

名とその石高に応じた、一定規模の軍装を整えた家臣団(大名行列)

は、国元と江戸を1年置きに交代で行き来することになり、結果として、

江戸の街は、将軍家の家臣である旗本・御家人や地方からの大名の

家臣(陪臣)などの武士が圧倒的に多く住む巨大な街となりました。

 

城の周囲は武士の居住空間(埋め立てられた大手門側は譜代大名の

江戸屋敷、国府路側の半蔵門サイドは将軍家を護衛する番頭の居住

域である旗本の番町となり、従来あった濠の内側の神社仏閣は濠の

外側へと移転させられ、庶民の街は当然にこれらの武家屋敷と神社仏

閣の隙間的な地域と埋め立ての低地(下町)に発生し、外濠の外側、

つまり、江戸城の防備上の外に設けられました。

 

・・・今週は、ここまで、江戸の街づくりの話は、来週以降へ・・・

 

 

 

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