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東京税経メルマガ



江戸四宿の話(3回)(2017/06/16)


おはようございます!
東京税経センター顧問の坂入です。

毎朝のメルマガは、硬い税務や経営の話だけを読み続
けると肩が凝ってきます。

週末の朝は、税務の話ではなく、わたくし個人の勝手な
趣味となっています「チャンバラ小説・時代劇小説」から・・・。
興味が無い皆さんにも、「こんな見方もあるのだなー」
と・・・・・斜めに読み流していただければ幸いです。

 

江戸四宿の話(3回)

 

江戸の街つくりの続きです!

 

江戸の再生

徳川幕府の体制強化のため「公家諸法度」「武家諸法度」を定め、

全国の領地を一種の委任統治を行わせる「大名」に対して、幕府へ

の恭順の意思表示として義務付けた「参勤交代」で、全国の領地か

ら江戸に向かわせるための「街道」を整備し、指定(あるいは届け出

た)された街道を届け出通りの日程で通って、江戸と領地を往復さ

せました。

 

大名は、その石高に応じて定められた「大名行列」(緊急時の幕府の

守備隊としての軍装を想定したもの)を整えて、指定された(あるいは届

け出た)街道を経由して1年おきに江戸と領地を往復させられました。

 

このための「街道」が、いわゆる、江戸に入るための「五街道(東海

道・甲州街道・中山道・奥州街道・日光街道)」とこれに準じた「脇往

還」でした。

これらの街道には「傳馬制度」や「宿場」が整備され、要所要所には

「関所」が設けられました。「関所」は江戸に居る人質(特に正妻)の逃

亡や謀反の主武器となる「鉄砲」の持ち込み・・つまり「入り鉄砲に出女」

・・を監視しました。

 

江戸再生の第一歩

 

天正18年(1590年)8月1日に正式に江戸入りした徳川家康は、寂

れていた江戸の再生の第一歩として、「江戸前島」と呼ばれていた日比

谷入江の向こう岸の、旧江戸城の対岸の半島の付け根を横断する形で

「道三濠(どうさんぼり)」を掘り抜き、江戸湊から旧江戸城を運河で繋ぎ、

その東側の現在の江東地区の低湿地に「小名木川(おなぎがわ)」を開

削して行徳からの「塩の道(水路)」を確保しました。

 

同時に廃れていた旧江戸城の再建に着手しますが、当初は、未だ豊

臣政権下の一領主にすぎなかったことから、建築費用はすべて自前で

あり、同時期の朝鮮出兵への費用負担などから、江戸城の本格的再建

には限りがありました。

 

・・・江戸の街や江戸城の本格的な普請「天下普請」は、家康の「東軍」が

石田三成の「西軍」を破り、実質的に、天下統一をなしたうえで、将軍宣下

の詔を得て、江戸に幕府を開いた後になります。・・・

 

それは、来週へ。

 

 

 

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