おはようございます!
東京税経センター顧問の坂入です。
毎朝のメルマガは、硬い税務や経営の話だけを読み続
けると肩が凝ってきます。
週末の朝は、税務の話ではなく、わたくし個人の勝手な
趣味となっています「チャンバラ小説・時代劇小説」から・・・。
興味が無い皆さんにも、「こんな見方もあるのだなー」
と・・・・・斜めに読み流していただければ幸いです。
本年1月下旬からの金曜日を担当して、最初のテーマは
当方事務所の近所にあります「将門の首塚」に関連した
話を「呪詛」のテーマで述べました。
それは、家康が、江戸に幕府を開くにあたっての「江戸の
街づくり」について関連した話でした。
チャンバラ小説、特に、江戸270年の街を舞台とした、捕
物帳や剣客ものは、数多く著述されてきました。その舞台
として度々出てくるのが「江戸の四宿(品川宿、内藤新宿
板橋宿、千住宿)」です。
江戸御府内(通称「朱引地内:江戸町奉行の管轄内」)から
各街道を出て最初の宿場がこの四宿です。
江戸の街から一歩出た、江戸ではない、江戸町奉行の
支配の及ばない、江戸の直近の街です。
逆に言えば、地方から江戸に向かって旅をしてきた者に
とっては、江戸に入る前の「最後の宿場」です。
今週から、この「江戸の四宿」について、江戸の街づくり
の話と併せて、当分の間述べてみたいと思います。
1.江戸の街づくり
北条小田原攻めで勝利した秀吉によって、三河から江戸
に移封された「徳川家康」は、坂東の荒れて廃れた地で
あった「江戸の街や城」の整備に着手しました。
当初は、秀吉の大阪政権の補佐的立場で関与しながら、
日比谷入江を駿河台(神田山)を崩して、旧来の江戸城
の陸側 (現在の半蔵門サイド)の国府路側(現在の青梅
街道)の反対側となる海側の、江戸前島から日比谷入江
を埋め立てました。
この埋め立てた地域を江戸の新たな街づくりの用地とし
て、関ヶ原の戦い以降の「徳川政権下での天下普請」で
の街づくりの主な場所となります。
秀吉の死亡によって各地の大名の勢力図が微妙に変化
し、結果として勃発した、東西に分かれての関ヶ原の戦い
に勝利した「徳川家康」を頭領とした「東軍」は、豊臣家を
覇者から1大名へと貶めて、自らは江戸に戻らず、二条
城に止まって、「征夷大将軍」に任ぜられるように、徳川
家を清和源氏の末裔と宣言して、臣下となっていた、同じ
三河の豪族で、足利氏一門の「吉良家」を使者として朝廷
に働きかけ、関ヶ原の勝利から3年後に「征夷大将軍」の
宣下を受けて、晴れて「江戸幕府」を発足させました。
・・・⇒余談:この将軍宣下の斡旋をしたのが「吉良家」で
あったことが、後の「忠臣蔵」への布石だったとも
言われています。この話は、後日、どこかで「忠臣
蔵異聞」として、述べたいと考えています。・・・
日比谷入江を埋め立て、大川の東側を開削して、大川と利
根川(現在の江戸川)を繋ぐ用水路を通じて、下総の「塩」を
直接搬入可能としたり、太田道灌が築きボロボロ状態だった
旧江戸城の改築等々の「江戸の街づくり」を手掛けました。
詳細は後述へ。
・・・江戸の街づくりと江戸の四宿については、来週以降へ・・・
その基因となったのは、「武家諸法度」です。
★facebookページあります!→http://nnp.y-ml.com/cs/Daily/1140/2087
===========================================================
東京税経グループ
公式ホームページ → http://www.tokyozeikei.jp/
Facebookページ → http://www.facebook.com/tzc.group
メールマガジン購読 → http://nnp.y-ml.com/form_if.cgi?id=Daily&u=