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東京税経メルマガ



平将門の呪い(2017/04/07)


おはようございます!
東京税経センター顧問の坂入です。

毎朝のメルマガは、硬い税務や経営の話だけを読み続
けると肩が凝ってきます。

週末の朝は、税務の話ではなく、わたくし個人の勝手な
趣味となっています「チャンバラ小説・時代劇小説」から・・・。
興味が無い皆さんにも、「こんな見方もあるのだなー」
と・・・・・斜めに読み流していただければ幸いです。

 

先週からの続きです・・・崇徳院の話です

 

明治新政府が畏怖した祟り神「崇徳院」とは、保元元年(1156年)

7月の「保元の乱」に敗れて、讃岐の国(四国:香川県)に配流され

長寛2年(1164年)8月、配流先の松山の津(香川県坂出市)で、皇

室や公家を呪詛しながら崩御した上皇です。

 

「皇室や公家から政治の実権を奪い、民衆に政治の実権を握らせ

てやる」という内容の呪詛でした。爾来、政治の実権は、呪詛通り

武士である平氏や源氏に移り、南北朝から足利、戦国時代を経て

徳川幕府へと引き継がれて、幕末までの約700年間、呪詛通りの世

になりました。

 

先週お伝えしたように、明治天皇の即位の礼の前日に行われた讃

岐での「山稜祭」は、崇徳院の祥月命日に合わせて挙行されました。

 

ここで読み上げられた祝詞(のりと)は、ただただ、ひたすらに崇徳院

への謝罪と慰霊の文言で綴られていたと伝わります。

 

越後から会津へと転戦していた官軍と旧幕府軍との戦いは、激戦が

続き、いわゆる「戊辰戦争」に官軍が勝利できるかどうかという、その

真っ最中での崇徳院への謝罪と鎮魂は、崇徳院の呪詛を鎮め、戊辰

戦争の勝利によって、天皇親政への転換を実現させるための重要な

祭事だったのでしょう。

 

つまり、崇徳院の呪詛を鎮めることが、王政復古を成就させるための

最後の切り札でもあったのでしょう。

 

崇徳院の御霊代の唐櫃を、崇徳院を祭神として創建した、京の「白峰

宮」に奉還したのが、9月6日で、翌日の9月7日に「改元の儀」を行い、

翌9月8日に明治元年となり、「一世一元制度」を宣言しています。

 

明治という時代は、崇徳院への謝罪と鎮魂に始まって、京の都への奉

還とともに始まったとも言えるのでしょう。

 

果たして、この鎮魂の効果は継続したのでしょうか?

 

現代は「天皇親政」ですか?

 

第二次世界大戦:太平洋戦争の敗戦で、連合軍、特に米軍の影響力

の下で、民主主義国家となった今の日本は「主権在民」=「天皇は国

民総意の象徴」です。

 

まさに、崇徳上皇の呪詛の通りではありませんか?

 

うん!呪詛の通りの民主主義国家です!

 

徳川家康と天海僧正の江戸の守護神の選択に、平将門と菅原道真に

もう一人「崇徳院」を加えていれば、未だに徳川政権だったのでは???

 

・・・来週は、将門公を奉った「神田明神」の祭礼について・・・

 


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