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東京税経メルマガ



祟りは将門公だけではないのか( 2017/03/31)


おはようございます!
東京税経センター顧問の坂入です。

毎朝のメルマガは、硬い税務や経営の話だけを読み続
けると肩が凝ってきます。

週末の朝は、税務の話ではなく、わたくし個人の勝手な
趣味となっています「チャンバラ小説・時代劇小説」から・・・。
興味が無い皆さんにも、「こんな見方もあるのだなー」
と・・・・・斜めに読み流していただければ幸いです。

 

<祟りは将門公だけではないのか>

将門公の「首塚」や「祟り」について、9回にわたって先週まで

お送りしてきました。

 

まとめとして、昨年5月に行われました「神田祭」のことを述べ

ようと思いましたが、その前に、明治新政府への祟りに関して

「崇徳院」の話をしておくべきと気が付きました。

 

朝廷に祟る神・・・時の政権と争って敗れ、遠国に配流されたり

将門公のように斬首された敗者の怨念が、時の政権に祟ると

いわれてきました。

 

家康が、江戸の防御に利用した、天神様(菅原道真)、明神様

(平将門)などが有名ですが、明治新政府が大政奉還を受け

て、天皇親政による明治新政府をスタートさせるにあたって、

もっとも畏怖した神霊が。他に存在していました。

 

それは、保元の乱で敗れて讃岐に配流されたまま「日本国の

大魔縁となって、皇をとって民となし、民を皇となさん」との呪詛

を遺して死んでいった「崇徳院」でした。

 

この呪詛は、「朝廷や公家から政治の実権を取り上げて、公家

を民衆に貶めて、民衆に政治の実権を握らせてやる。」という主

旨の呪いでした。

 

爾来、この呪詛のとおり、政治の実権は朝廷や公家から民衆で

武力を持った「武士」へと移り、約700年を経て、ようやく明治新政

府によって天皇による親政が復活したのです。

 

明治新政府にとっては、、朝廷が政治の主導権を握るのは、後醍

醐院の「建武の中興」を除いて、ほぼ700年ぶりの親政復活でした。

 

慶応4年8月27日、京都御所で明治天皇の即位の礼が挙行されま

した。この即位の礼の前日、8月26日に重要な祭礼が四国の讃岐

(現在の四国:香川県)の国で崇徳院を奉る「山稜祭」が執り行わ

れています。

 

慶応4年の王政復古を無事に成功させ、天皇親政を成功に導く為

には、700年続いた「崇徳院の呪詛」から解放されることが必要だ

ったのです。

 

平氏の隆盛と、源氏の台頭、頼朝による幕府成立、南北朝から足

利幕府、足利幕府の崩壊と武力による下克上、全国各地での武力

衝突いわゆる戦国時代を経て徳川幕府の270年、という長い間の

執政権の喪失からの、明治新政府の思いは、「崇徳院の呪いの言

葉」からの解放だったのです。

 

・・・・続きは、来週へ・・・

 

 


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