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江戸の総鎮守「平将門:神田明神」(2017/02/24)


おはようございます。
東京税経センター顧問の坂入です。

毎朝のメルマガは、硬い税務や経営の話だけを読み続
けると肩が凝ってきます。

週末の朝は、税務の話ではなく、わたくし個人の勝手な
趣味となっています「チャンバラ小説・時代劇小説」から・・・。
興味が無い皆さんにも、「こんな見方もあるのだなー」
と・・・・・斜めに読み流していただければ幸いです。

 

<江戸の総鎮守「平将門:神田明神」>

 

先週の続きです・・・・。

 

家康は、幕府を開くについて、江戸の街づくりの一環として、

神社仏閣を、防備上の重要な施設となる「濠」の外側に移転

させました。

 

大手門の周囲は、譜代の大大名の江戸屋敷とし、大手門の

側にあった「神田明神」は、江戸の街の「鬼門(東北)」に当た

る駿河台に移転させて、その延長線上に、もう一人の朝廷に

祟る神「菅原道真」を祀った「天神社(湯島天神)」とその先に

京の都の鬼門を封じて建立された「比叡山延暦寺」を模して

「東叡山寛永寺」を建立して、徳川家の菩提寺として、鬼門

を封じました。

 

・・・もっと遠くの鬼門には「日光東照宮」を・・・。

 

つまり、徳川幕府は、朝廷に抗った罪で討伐或いは配流等で

断罪された、将門公や道真公を祀り、特に、将門公を祀った「

神田明神」を江戸の街の総鎮守とすることで、朝廷や公家勢

力の力を弱め、幕府勢力の強化、安定のため、江戸、関東の

人々が、尊王思想を抱かないように仕組んだのだといわれて

います。

 

江戸280年の間、江戸庶民をはじめ多くの関東人或いは参勤

で江戸在府の地方の武士は将門公信仰と神田明神社への崇

敬の念を自然と醸成されたのでした。

 

徳川家康の意図したとおりになったのです。

 

寛永14年、江戸城の完成の頃、日比谷入江の柴崎村周辺は、

駿河台を切り崩した土で、埋め立てられて、海岸は遠のき、内

陸となり、大名屋敷の敷地となりました。

 

将門の首塚のあった場所は、譜代大名「土井利勝」の屋敷地と

なりましたが、「神田明神」の移転とは切り離されて、「首塚」だけ

は「大手門」の守護神として祀られ、土井家の敷地内に残されま

した。

 

後に、酒井雅楽頭忠清の屋敷となった際には、屋敷内に「将門

稲荷」として祀られて、江戸末期まで信仰されました。

 

続きは、来週へ・・・。

 

 


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