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東京税経メルマガ



平将門(第3回)(2017/02/10)


おはようございます。
東京税経センター顧問の坂入です。

毎朝のメルマガは、硬い税務や経営の話だけを読み続
けると肩が凝ってきます。

週末の朝は、税務の話ではなく、わたくし個人の勝手な
趣味となっています「チャンバラ小説・時代劇小説」から・・・。
興味が無い皆さんにも、「こんな見方もあるのだなー」
と・・・・・斜めに読み流していただければ幸いです。

 

今週末も、将門公の話です・・・当分そのつもりです

<祟る神「平将門」と江戸の街づくり>
1309年、柴崎村は洪水と疫病に襲われ、村人は

再び、将門公の祟りだと恐れ、時宗の遊行僧「真

教」が、鎮魂のため、荒れ果てていた安房神社の

境内に「日輪寺」を建立して、「柴崎道場」と命名

して、安房神社を元来の埋葬地名であった「神田

山」あるいは将門公の「からだ」から、「神田明神

社」と改名して、将門公を主祭神に奉祀しました。

 

明治維新の神仏分離令まで、時宗の古刹「神田

山柴崎道場日輪寺」は、駿河台の「神田明神社」

の別当寺とされ、明治初年まで、神田祭などの行

事では、日輪寺の僧が、供奉して経をあげていた

と伝えられています。

「日輪寺」は、現在では、台東区西浅草に移転し

ています。

 

以来、「神田」の謂れは、「からだ」を語源としてお

り、地名の「神田」も将門公の「からだ」からきてい

るとの説が、真のように伝えられて、信じられてき

ました。

 

将門公の「祟る」相手は、本来は、「朝廷や公家」

であり、朝廷を祟る神としては、この「平将門」と

「菅原道真」が代表的な二神だとされてきました。

この二神を街づくりに採用したのが、下克上の戦

国時代を制して、「征夷大将軍」に任じられて関東

の地に「徳川幕府」を開いた「徳川家康」とそのブレ

ーンであった「天海僧正」でした。

 

家康たちは、江戸の街づくりに、江戸城を中心と

して、現在の駿河台を崩して日比谷入江を埋め立

てて、「のの字」に濠を設けて、従う大名たちの参

勤交代のための街道を整備し、街道を通って江戸

に出入りする際に「見附」と呼ばれる城門を、街道

と濠の交差する場所に設けて、通行を監理しました。

全ての「見附」の側には、将門公所縁のものを祀

った神社を設けました。

・・・・何故?

・・・それは、来週へ・・・。

 


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